2022年6月11日土曜日

父親の訴え(上)

イエスはその子の父親に尋ねられた。「この子がこんなになってから、どのくらいになりますか。」父親は言った。「幼い時からです。この霊は、彼を滅ぼそうとして、何度も火の中や水の中に投げ込みました。」(マルコ9・21〜22)

 霊魂を傷つけることに悪魔の所業が多分に働いていることは承知しているが、聖書は私たちの意外とする所にも悪魔の所業を認めている。まだ西も東も弁えない幼い子供の頭脳と肉体とに働き、発作的に『ひきつけさせ、地面に倒れ、泡を吹きながら転げ回っている』(20節)という癲癇持ちのような症状の背後にはやはり恐るべき悪魔の手が動いているように書いてある。これを科学思想の進歩せぬ時代の迷信だと片付けることが果たして科学的であろうか。私は聖書を信ずる。聖書は一切の善の背後にはどこにも神のみ手が働いていると主張するように、一切の悪の背後には悪魔の手が働いていることを主張しているのだと信ずる。私たちの背後には霊界にも物質界にも二つの大きな知らざる手が動いているのである。だから何事にも私たちの最も大切な仕事は先ず祈ることである。祈りによって先ず一つの知らざる力によって、他の知らざる力に対抗するのである。

祈祷
天の神よ、願わくは私たちの眼を開いて下さい。私たちに感覚の世界にのみ囚われて霊界の世界に盲目とならないようにして下さい。物質の世界の背後に働く霊の手を見る眼、これに触れることのできる手をお与え下さい。

(以上の文章は『一日一文マルコ伝霊解』青木澄十郎著162頁より参考引用し、題名は引用者が便宜的につけた。

※このマルコの福音書9.17~27は、並行箇所であるマタイ17.14~18、ルカ9.38~43に比べて節数にして倍近い説明を加えている。その上、青木さんの霊解も微に入り細に入る。簡潔に述べ、「すぐに」「直ちに」とか、とかく行動を旨とするマルコの福音書がどうしてこういう記述をなしているのか疑問に思い、他の本を調べてみた。二、三納得できそうな記述があったので紹介する。

 現代医学はこの病状をてんかんと見るであろう。この見解は、この病気が、キリストが直接対決された悪霊によるものであるという主張と矛盾するものではない。マルコがこういう悪霊を追い出す奇蹟に特別な関心をいだいていることは、すでに見てきたとおりであるが〈1.21~28、5.1~20〉、ここでも彼の記述は、その詳細にまで立ち入り、真に迫っている点で際立っている。〈『KGK聖書註解』837頁〉

 ここでのイエスと父親との会話は具体的であり、この伝承の史実性を物語っている。〈『新聖書注解 新約1』275頁〉)

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