2022年6月28日火曜日

この子供のように!(5)

『だれでも、このような幼子たちのひとりを、わたしの名のゆえに受け入れるならば、わたしを受け入れるのです。・・・』(マルコ9・37)

 無邪気な謙遜な幼児の顔にキリストの御姿が宿っている。そのようにキリストの名を信じるいと小さい者の中にもキリストの御姿が宿っている。如何に不完全であろうともキリストを受けキリストを信じる者の心には小さいかも知れないがキリストの御姿が宿っているのである。だからお互いに受け入れなければならない。マタイやトマスが信仰の幼児であったとしても、ペテロやヨハネの心の中に『だれが一番だろうか』と争う心を持ってはいけない。むしろ喜んでこれを受け入れる心でなければならない。ペテロやヨハネが自分たちをマタイやトマスよりも大なりとする代わりに、喜んでこれを受け入れる態度こそ真に天国の心であって、知らずしてイエスをその心に受け入れているのである。他を排斥する心。それこそ実にイエスを排斥する心である。その心にはイエスの宿り給う余地がない。

祈祷
主イエスさま、私はあなたを今すぐにでも受け入れたく存じます。しかしあの兄弟やこの姉妹を受け入れたくありません。どうかこの心を癒して下さい。アーメン

 (以上の文章は『一日一文マルコ伝霊解』青木澄十郎著179頁より参考引用し、題名は引用者が便宜的につけた。なお、以下の長文は、一昨日、昨日に引き続くA.B.ブルースの『気質の訓練』の1「この子供のように」という一連の文章の締めくくり部分に位置するものである。

 子供を腕に抱きながらイエスが弟子たちに教えられた、もう一つのことがある。つまりそれは、小さい者たちを傷つけたり軽んじたりする人々は、天上の思いにおよそ釣り合わないということである。イエスは「あなたがたは、この小さい者たちを、ひとりでも見下げたりしないように気をつけなさい」と言われた。それからイエスは、覆いを取り払い、彼らがみなそこで偉くなりたいと願ってやまなかった天の御国を垣間見せることによって、この警告の実行を強く迫られた。「ごらんなさい。神の御座の前に立っている御使いたちが見えるでしょう。この御使いたちは小さい者たちに仕える霊です。そして、ここにいるわたし、彼らを救うために天から下って来た神の御子を見なさい! 天におられる父の御顔が御使いに対しても、わたしに対してもほほえんでいるのを見なさい! それはわたしたちが小さい者たちを心から愛しているからです。」

 なんと感動的なことばだろう。なんと力強い訴えであろう。その大意はこうである。「天の御使いは心優しく、へりくだっています。あなたがたは利己的で、高慢です。そんなあなたがたが、どうして御国に入れてもらえる望みを抱けるでしょうか。天の住民のへりくだった態度と取るに足りない者たちの思い上がった態度とを比較してみて、あなたがたは恥いらないのですか。これからはきっぱりと、無益な野望をすて、心優しい、へりくだった天来の精神で心を満たしなさい。

 天界の美しい描写の中で、特筆すべき一つのことがある。すなわち、滅び行く者の救い主であるイエスのみわざに関連し、小さい者たちへの心遣いを促す意図を持った例話が紹介されていることである。それはもちろん主題と無縁ではない。いっそう論旨を強調する例話である。もし人の子が滅び行く者、道徳的に堕落した者に心を向けられたのであれば、なおさら、ただの小さい者に心を向けて下さるだろう。弱い者に関心を向けるよりも悪い者を救おうとするほうが、はるかに大きな愛の労苦である。悪い者を救ってくださった方は、必ず弱い者を助けてくださる。

 迷い出た羊を追い求める羊飼いのたとえに示されているように、罪人の救い主なるイエスの愛に心を留めると、イエスはさらに弟子たちの注意を卓越した謙遜の模範に向けさせている。その愛は、神の御子のうちにはご自分の偉大さを誇ることがなく、聖さをも誇られない事実を表している。イエスはへりくだって身分の低い人々のもとに来られたばかりか、下賤な人々の兄弟ともなられた。彼らが特権と特質においてイエスと等しくなるように、イエスは同情と運命において彼らと等しくなられた。

 重ねて言うが、救い主としてのご自身の愛と関連させて、イエスは弟子たちに、弱い者を顧み、小さい者を軽んじることのない、愛の源泉そのものを示されたのである。イエスの愛を正しく受け止めた者は、ある兄弟がどんなに卑下すべき状態にあったとしても、彼を故意につまずかせたり、冷ややかに扱ったりはできないだろう。すべての真の弟子たちの目には、人の子の愛がこの世の最も卑しい人々を聖なる栄光で包んでいるのが映る。

※神の受肉者であるイエスさまがどんなに愛なるお方かを語って余りあるA.B.ブルースの表現である。イエスさまがまことの神様であり、人の子となられたことを、いかなる意味でも間違って人々に述べ伝えることがあってはならぬ。2テモテ4・3〜4。)  

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