2022年6月5日日曜日

「エリヤの来臨」について(4)

しかし、あなたがたに告げます。エリヤはもう来たのです。そして人々は、彼について書いてあるとおりに、好き勝手なことを彼にしたのです。(マルコ9・13)

 イエスがこの語を仰せられたお心のうちには大きな失望と言ったような感があったと思われる。この語には淋しい響きがあるではないか。イエスは確かにヨハネに『好き勝手なことをした』お方ではなかった。もしユダヤ全国の民が、特にその代表者であるサドカイやパリサイの人たちが挙ってヨハネを受け入れたならば、それに引き続いて、ヨハネが証したキリストを挙って受け入れたならば、ユダヤの歴史は今日のようではなかったであろう。否、世界の歴史は今日のように地獄の歴史でなく、天国の歴史となっていたであろう。数百年前から預言され、そして彼ら学者たちにも期待されながら、愈々出現した時にエリヤもキリストも認めることのできなかった人々の心をどんなに情けなく、かつあさましく感じられたことであろう。神の備え給うた機会を逸するということは取り返しのつかぬ損失である。神の与え給うた恵みを、知らず顔で行き過ぎることは、悔いてもかえらぬ恨みごとである。

祈祷
主よ、恵みの日にあなたに来たり、救いの日にあなたに帰らして下さい。あなたが提供して下さる悔い改めの恵みを好き勝手に放っておくことなく、真剣にこれを受け取り、御霊のお招きの声に日々従順に従わせて下さい。アーメン

 (以上の文章は『一日一文マルコ伝霊解』青木澄十郎著156頁より参考引用し、題名は引用者が便宜的につけた。以下は、昨日に引き続き、F.B.マイヤーの『信仰の勇者ーーエリヤの生涯から』の抜粋引用である。

 私たちの主はまちがいなく彼らを、絶えず彼の思いに浮かんでくる重要なことがらへと導かれたことであろう。彼はいつもご自分の死の時を見越しておられた。彼は死ぬ目的を持って生まれてこられたのである。そして今やその時が非常に近づいていた。彼の足はすでに十字架の影さす所に立っていた。であるから、これらの気高い霊とともに、彼の前に置かれているさまざまな喜びについて語ることは、彼にとってまことに喜ばしいことであった。

 モーセは彼に、もし彼が神の子羊として死ぬなら、同じ神の子羊として数え切れない人々をあがなうことになると言ったのかもしれない。エリヤは御父に帰せられる栄光について語ったのかもしれない。これらのことは、私たちのほむべき主にとって、十分になじみのある思いであった。しかしそれがほかの者の口から語られたということで、彼を喜ばせ、かつ励ましたことであろう。特に、彼らが、主の死に続く復活の朝のまばゆい輝きについて語る時、主の喜びは大いに高められたことであろう。

 ところで彼らは、キリストの聖なる受肉、彼の生涯をいろどる博愛、または彼の教えの深さなどには主要な関心を向けなかった。これらのものはことごとく、彼の死と比較した時に精彩を失ってしまう。彼の死こそ彼の生涯の金字塔であるーーそれは私たちと同じ肉体をまとった彼の手になる数々のわざという峰々の中で、一段と高くそびえ立つモンブランである。ここにこそ、神の属性は最も完全で、しかも最も高度に調和した表現を見いだしている。

 ここで人の罪と救いが出会い、みごとな解決策を生み出している。ここで被造物の産みの苦しみは、天国のかぎを見いだす。ここに、義と平和の住む新天新地の種が蒔かれている。ここにまた、あらゆる時代、あらゆる生物、あらゆる世界の一致点がある。ここで人と御使いたちは一つに解け合い、去って行った霊魂と下界の住民、ペテロ、ヤコブ、ヨハネ、それにモーセとエリヤはみごとな調和のうちに一体となる。それだけでなく、ここでこれらのすべての者たちは、開かれた天から祝福の声をかけられる偉大なる神ご自身と一つ心になるのである。

 十字架に近づけば近づくほど、エルサレムで達成された死について考えれば考えるほど、私たちはいっそう物事の中心に近づく。そして私たちは、自分自身、他の気高い霊ならびに神ご自身といっそう調和するようになる。きよい黙想を杖にして、しばしばこの山に登ろうではないか。そして、変貌の山でしばらくの間愛する主のみそば近くに立つのを無上の光栄としたこの気高い預言者ほど、私たちの救い主の死の神秘と意味とに深い関心を寄せた者はいなかったことを思い起こそうではないか。

※以上、エリヤに関するF.B.マイヤーの著作のほんの一部を紹介した。参考までに同著の20項目の題名を以下に列挙しておく。1力の秘訣 2ケリテ川のほとり 3ツァレファテへ 4エリヤの霊と力 5家庭生活という試練〈以上は1列王17章〉6オバデヤ 7戦いの計画 8カルメル山頂の対決 9ついに雨が〈以上は1列王18章〉10勇者はなぜ倒れたか 11いのちにまさるいつくしみ 12かすかな細い声 13帰って行け〈以上は1列王19章〉14ナボテのぶどう畑〈1列王21章〉15再び勇者の座に〈2列王1章〉16夕べの歌 17携挙 18エリヤの霊の二つの分け前〈以上は2列王2章〉19変貌の山〈ルカ9章〉20聖霊に満たされて〈ルカ1章15、17節〉)

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