ヨハネがイエスに言った。『先生。先生の名を唱えて悪霊を追い出している者を見ましたが、私たちの仲間ではないので、やめさせました。』(マルコ9・38)
この度はペテロではなかった。ヨハネは卒然として言語を発する性質ではなかった。しかし彼の裏には火のようなものが燃えていた。だからイエスに『雷の子』と命名されたほどである。彼が爆発する時はペテロよりも恐ろしい。天より火を呼び降してイエスを受けぬサマリヤ人の村を焼き払うとしたほどの人であるが、どこかでイエスの名を勝手に用いて悪霊を追い出す人を見て憤慨しこれを禁止したことのあるのを今思い出したのである。
彼は『雷の子』ではあるが思慮深く反省心の強い人であった。人一倍柔らかい良心の持ち主であった。今『幼子たちのひとりをわたしの名のゆえに』受け入れよとのご教訓に接して、『イエスの名によって悪霊を追い出す』人を叱ったことの可否を問うたのである。この反省心である、これがヨハネをして将来その性質を一変して柔らかな愛の人ならしめたのである。
祈祷
主イエスよ、どうか私にもヨハネのこの反省心と、何事にも御心を伺うところの祈りとを与えて下さい。自己に固執することなく直ちに改める率直謙遜な心を与えて下さい。アーメン
(以上の文章は『一日一文マルコ伝霊解』青木澄十郎著180頁より参考引用し、題名は引用者が便宜的につけた。この青木さんの概説はヨハネの美点をとらえた。一方、『受肉者耶蘇〈Days of His Flesh〉は下記のように、ヨハネの足らざる点をイエスさまが悲しまれたことを的確にとらえている。100年前の翻訳文をベースにしているので読みにくい文章だとは思うが最後まで読んでいただきたい。6/23https://straysheep-vine-branches.blogspot.com/2022/06/blog-post_23.htmlの続きの文章にあたる。
羞恥に耐えないままに彼らは黙っていたので、やがて甚だ有効な教訓を彼らに与えられた。『だれでも人の先に立ちたいと思うなら、みなのしんがりとなり、みなに仕える者となりなさい。』と霊界の律法を授けられた。而してなおこれに説明を加えられた。あたかもそこへーー蓋しペテロの家に相違ないがーー室のうちに小児がいた。イエスはこの小児を団欒の中に伴い來って、その好んで慣用されるようにその小児を腕に抱き上げて(マルコ10・16参照)これを生ける比喩とされた。
これぞ実に剴切〈がいせつ〉な説明であった。小児は野心と、その野心より発生する利己心とは全く門外漢である。聖クリソストムは言う『たといその冠燦たる女王を示そうとも小児はなお襤褸〈ぼろ〉をまとえる彼の母よりもこれを慕うことはないだろう、彼は必ず華麗である女王よりも、むしろその見すぼらしい母を選ぶに違いない』『まことに、あなたがたに告げます。あなたがたも悔い改めて子どもたちのようにならない限り、決して天の御国には、はいれません』と。十二使徒が天国において大いなるものになろうとする希望は誤りではなかった。しかし、その偉大を目指す理想が間違っていた。この世界において偉大なりと仰がれる人物はその同胞より卓越したものであった。しかし天国においては人に仕えようと心がけ、弱くして力がなく世から侮辱され、足の下に蹂躙され、最も多く援助を必要とされるほどに甚だしく柔和な者こそ最大の偉人である。このようなものがイエスの精神であって、これを服膺〈ふくよう〉する者こそ、その弟子である。イエスは『だれでも、このような子どものひとりを、わたしの名のゆえに受け入れる者は、わたしを受け入れるのです』〈マタイ18・5〉と仰せられた。
10 「愛についての教訓」
これはイエスの深刻な譴責〈けんせき〉であった。ヨハネはこれに対して答える勇気もなかったであろう。彼は『わたしの名のゆえに』との一句に、近頃起こった事件を回想したことであろう。おそらくそれは彼とヤコブとがガリラヤにおいて伝道に従事している時であったと思われる。『先生。先生の名を唱えて悪霊を追い出している者を見ましたが、私たちの仲間ではないので、やめさせました。』と報告した。彼にはいかなる追想が起こったであろうか。ヨハネがこのような報告を提出したのは問題を転じて、会話を他の方へと引き入れるつもりであったに違いない。而して、その譴責を当然受けなければならないと同時に自らイエスのために努力し、その褒賞〈ほうしょう〉を受けるのに足るべきことを証言しようと欲したのであった。
しかもこれまた道を誤った言葉であって、彼はさらに新たな譴責を受けた。何人であるかを問わず、主の事業をなす者は、神のために努力する所以であって敢えて弟子たちには何の関係もないのであった。ただこのような人はその団体に属さす、彼らの持っている特権を授けられないのに略取したものと考えるだけだった。実際彼らの憤慨はヨハネの素朴な言葉に明らかに現れているのであって、ただ個人的に問題としているに過ぎなかった。彼らはこの人がイエスを穢〈けが〉すことを禁じたのではなかった。イエスの事業に携わっているにもかかわらず、ただ彼らの〈十二弟子たちの〉団体に属さないが故に憤るのであった。このようなことは、主の栄光のために憤っているのでなく、自己のため、嫉妬のために憤っているのに外ならなかった。
『やめさせることはありません。わたしの名を唱えて、力あるわざを行ないながら、すぐあとで、わたしを悪く言える者はないのです』と言い、イエスはさらに『わたしたちに反対しない者は、わたしたちの味方です』との寛宏な主義を授けられた。この使徒団以外にあったものは何者であろうか。天国には十二使徒以外の伝道者が必要であった。彼らはガダラの悪霊に憑かれていた男〈マルコ5・18〜20、ルカ8・38〜39〉) のように、イエスに病を癒されてもなおこれに従い行くのを許されないで、その家郷、その村民の間に帰って、そこでその救い主を尊崇していたものであろう。彼らは使徒の仲間に加わることができず、何らか彼らと区別されなければならない理由があったが、なお主の名によって主の事業を行っていたもので、これは弟子になるのに十分で満足すべき試験を経たものであった。ゆえにヨハネは、後年パウロが『人々の中にはねたみや争いをもってキリストを宣べ伝える者もいますが、・・・党派心をもって、キリストを宣べ』しかれども『見せかけであろうとも、真実であろうとも、あらゆるしかたでキリストは宣べ伝えら ているのであって』〈ピリピ1・15〜18〉これを喜んだようにこれを認容すべきはずであった。
11 「弱者を顧慮せんとの教訓」
イエスはヨハネの言葉に深い苦痛を感じられた。この不明の男こそイエスが常に特殊な同情を傾けて、小児のみの意味でなく、弱くして、厚意と扶助と忍耐とを要するすべてをふくむ『この小さい者』〈マタイ18・6、マルコ9・42〉と仰せられる種類の人の代表者であった。イエスは『その名のためにこの小さい者を』受け入れず、弟子たちがこれを追い出し、これに援助の手を与えず、かえってつまずく石をその足許に横たえたことを嘆かれたのであった。古の律法は盲人の前につまずく石を置いたり、あるいは路を踏み迷わせるのを罪に定めている〈レビ19・14、申命記27・18〉。しかるに主の眼中には天国の路に妨害となるべきものを置くことは極悪非道の罪悪と見えた。『わたしを信じるこの小さい者たちのひとりにでもつまずきを与えるような者は、大きい石臼を首にかけられて、湖の深みで溺れ死んだほうがましです』〈マタイ18・6〉と。神が限りなく価値があると認められるものを軽侮するするのが、この罪の恐るべき理由である。なお、救いの世継ぎにはこれに仕える天使ありとのユダヤ人の思想〈ヘブル1・14〉を借りて『あなたがたは、この小さい者たちを、ひとりでも見下げたりしないように気をつけなさい。まことに、あなたがたに告げます。彼らの天の御使いたちは、天におられるわたしの父の御顔をいつも見ているからです。』〈マタイ18・10〉と仰せられた。)
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