2016年12月11日日曜日

愛によって引き寄せられて

永遠の愛をもって、わたしはあなたを愛した。それゆえ、わたしはあなたに、誠実を尽くし続けた。(エレミヤ31:3)

 今、ちょっと自分の心を探って見てください。主の愛はそうでなかったのでしょうか。主があなたを引き寄せられたのは誠実以外の何かほかのものがありましたか。主があなたを導かれた方法を思い出してごらんなさい。その道はとげでもって囲われていたかも知れません、しかし愛が敷き詰められていなかったですか。まさしく石は美しい色で敷かれていませんでしたか。あなたは初めからずっと主の誠実を見ることにお役にたっていますか。そして、それらは何のために与えられたのですか。あなたを引き寄せるためでしょう。

 そのことが理解されるならば、次にはどんなことが言えるのでしょうか。誠実は永遠の愛の実であり、表現であり、絶対的な証拠であります。この堂々とした結論「永遠の愛をもって、わたしはあなたを愛した[個人的にあなたを]。それゆえ、わたしはあなたに[個人的にあなたに]、誠実を尽くし続けた。」から逃れるものは何もありません。

 近づくことは人格的であり、個人的でありました。確かに「押し迫って(マルコ5:27)」であったかも知れません。しかし、私たちには押し迫る群衆の人たちとは何の関係もなかったのです。私たちは、私たちが、つまりあなたも私も個人個人として来たことをよく知っています。その人格をとおして伝わってきたことは、神様である父なる方の人格により引き寄せられる愛のゆえんでした。

 私はどのようにして主があなたを引き寄せられたか知りません。あなたも主がどのようにして私を引き寄せられたか知らないでしょう。しかし、それなしにはほとんど確実にあなたも私も決して主のところに来ることは出来なかったでしょう。なぜなら、私たちは自ら進んで来るはずがなかったからです。

まことの泉からそのような流れはもたらされる
どんな他の根もそんな美しい花を生み出すことは出来ないだろう

主は愛してくださらなかっただろうか 
主は私たちをそんなふうには引き寄せられなかった

主は本当に引き寄せてくださらなかっただろうか 

私たちには意欲も力もなかった
立ち上がらせ近づけさせるために 
救い主はそばを通られた
目の見えない私たちが  
いたわりもされず叫びもなく座っていたところを

(今日の箇所はhttp://bibletruthpublishers.com/december-11-drawn-by-love/frances-ridley-havergal/opened-treasures/f-r-havergal/la97510です。ハヴァガルはこのエレミヤをとおして流れる主の福音を、福音書を通して私たちが知ることの出来るイエス様の類いない様々な愛を思い、感謝の思いで筆を走らせている。そして、まさしくベック兄が『神のみことばは神のみことばである』と父なる神様、子なるイエス・キリスト、聖霊なる神様をとおして、「債務」しか持ち得ない私たち罪人に主が語られる聖書の神髄を明らかにされてきた大きな例証の一つであると私は思う。

※Godhold Beck(111)

『神のみことばは神のみことばである』[5]

 今まで私たちは「神が語られた」ということ、次に「主イエスが語られた」ということについて聖書から見て来ましたが、次に「聖霊が語られた」ということについて聖書から見てみることにしましょう。

 主イエス様はこの地上を去る少し前に、もう一人の「慰め主」、すなわち「聖霊」を紹介して、聖霊について、今や聖霊がイエス様の代わりに語られるようになるとおっしゃいました。ヨハネ伝16章の13節14節に次のように書いてあります。
しかし、その方、すなわち真理の御霊が来ると、あなたがたをすべての真理に導き入れます。御霊は自分から語るのではなく、聞くままを話し、また、やがて起ころうとしていることをあなたがたに示すからです。御霊はわたしの栄光を現わします。わたしのものを受けて、あなたがたに知らせるからです。

と。聖霊は五旬節の時からイエス様の代わりに語ってくださるものとなってくださいました。ヨハネ伝15章26節27節に
わたしが父のもとから遣わす助け主、すなわち父から出る真理の御霊が来るとき、その御霊がわたしについてあかしします。あなたがたもあかしするのです。初めからわたしといっしょにいたからです。

と、あります。聖霊は、教えて下さるお方であり、思い起こさせて下さる方でもあります。14章26節に
しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。

と、あります。主イエス様は昇天され、高く引き上げられて、天にもどられてから、これからは聖霊が語り手であるということを重ねておっしゃってくださいました。黙示録2章7節に
耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。

と、あります。

 新約聖書の多くの作者たちは、聖霊が自分たちをとおして語っておられるということを常に意識していました。彼らは自分たちが考え出したことではなく、上から与えられた神の啓示を宣べ伝えなければなりませんでした。そして、彼らは旧約聖書に書かれている事柄だけではなく、自分たちを通して聖霊が語られたみことばも同じ権威を持っていると要求しました。ペテロはイエス・キリストの霊が預言者たちを通して語られたこと、そしてまた、同じ霊が自分たちを通しても語っておられると私たちに証しています。ペテロ第一の手紙1章10節から13節までお読み致します。
この救いについては、あなたがたに対する恵みについて預言した預言者たちも、熱心に尋ね、細かく調べました。彼らは、自分たちのうちにおられるキリストの御霊が、キリストの苦難とそれに続く栄光を前もってあかしされたとき、だれを、また、どのような時をさして言われたのかを調べたのです。彼らは、それらのことが、自分たちのためではなく、あなたがたのための奉仕であるとの啓示を受けました。そして今や、それらのことは、天から送られた聖霊によってあなたがたに福音を語った人々を通して、あなたがたに告げ知らされたのです。それは御使いたちもはっきり見たいと願っていることなのです。ですから、あなたがたは、心を引き締め、身を慎み、イエス・キリストの現われのときあなたがたにもたらされる恵みを、ひたすら待ち望みなさい。

と、あります。パウロもまたその福音の発生について、それが自分の考えではなく、主なる神によって上から与えられたものであることを強調しています。コリント第一の手紙2章4節から7節までお読み致します。
そして、私のことばと私の宣教とは、説得力のある知恵のことばによって行なわれたものではなく、御霊と御力の現われでした。それは、あなたがたの持つ信仰が、人間の知恵にささえられず、神の力にささえられるためでした。しかし私たちは、成人の間で、知恵を語ります。この知恵は、この世の知恵でもなく、この世の過ぎ去って行く支配者たちの知恵でもありません。私たちの語るのは、隠された奥義としての神の知恵であって、それは、神が、私たちの栄光のために、世界の始まる前から、あらかじめ定められたものです。

そして、12節に
ところで、私たちは、この世の霊を受けたのではなく、神の御霊を受けました。それは、恵みによって神から私たちに賜わったものを、私たちが知るためです。

と、あります。パウロはここで書いたこと、語ったことは、とりもなおさず神のみことばであるに他ならないと断言しています。もしも自分の考えに過ぎないのであれば、パウロの言っていることはとんでもないことになってしまいますが、ほんとうに神のことばが語られているのであれば、それを明らかにしないことは大変大きな債務になってしまうわけです。主イエス様の語られたことばが神のみことばであるのと同じように、聖霊が語られることばもまた神のみことばなのです。新約聖書のたくさんの手紙の中に、明らかにされている神の啓示は聖霊の証しに他なりません。すなわち、それは上から与えられた神のことばなのです。

 聖書の最後の書である黙示録について、もう一言だけ申し上げたいと思います。ヨハネ黙示録、また上からの要求、したがって、神のみことばであるという要求を知っているのでしょうか。黙示録1章1節に
これは、神がキリストにお与えになったものである。

と、黙示録の最初に書かれていることから明らかなように、ここに書かれていることばも全て神のみことばなのです。このようにして、聖書は最後のところでも再び、それらのみことばが神のみことばに他ならないことを強調しています。黙示録22章6節に
御使いはまた私に、「これらのことばは、信ずべきものであり、真実なのです。」と言った。預言者たちのたましいの神である主は、その御使いを遣わし、すぐに起こるべき事を、そのしもべたちに示そうとされたのである。

と、あります。そして16節
「わたし、イエスは御使いを遣わして、諸教会について、これらのことをあなたがたにあかしした。わたしはダビデの根、また子孫、輝く明けの明星である。」

と、あります。

一言(ひとことば)で言いますと、聖書は統一を持った神のみことばです。 

引用者註:結論は極めて簡単に見えます。しかし、一つ一つの推論は私たちに一点の弁解の余地も許さないものではないでしょうか。神様に対して債務を持つ人間存在がこれほど明快に語られるメッセージを私は知りません。ベック兄はなおも聖書について語り続けます。明日もその続きを載せましょうか。シリーズ「聖書とは何か」の第二部です)

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