あなたのくちびるからは優しさが流れ出る。神がとこしえにあなたを祝福しておられるからだ。(詩篇45:2)
みなイエスをほめ、その口から出て来る恵みのことばに驚いた。
福音書を一つ以上心にある特別な思いをもって読み通し、どれだけ多くのことが関係しているかを知る上で、これらのみことばは、しばしば助けとなります。私たちがこの考え、すなわち「私のために主が語られる」という驚くべき思いをもって、唇に流れ込むやさしさや福音書から落つるやさしいことばに、福音書から流れ出るやさしさ・力・知恵・愛の累積する力と無限の富にますます驚きながら、節から節へ読み通す時、私たちは唇とあらゆる唇の実が主のために完全であるべきだと願わずにはいられません。
「あなたのために」唇は祝福のうちに開けられたのです。「あなたのために」主が殺戮される子羊のように導かれた時、閉じられました。そして、主の守りのうちにある教え、警告、助言、慰めであろうと、励まし、命令であろうと、私たちが求めたり考えたりするすべてにまさる大きな報酬や約束があります。すなわち主の唇のすべての貴重な実は「あなたのため」であり、真実にまぎれもなく「あなたのために」と目論まれていたのです。
キリストは宝だ おお 最大の宝
父なる神によって証印を捺された贈り物
もっとも大きな値が張る宝物である真珠が
隠されていたが 今や 私たちに明らかにされた
ご自身の民の栄光の冠 キラキラ輝く王冠
民にとって 千の世界よりもさらに
あらゆるいのち・愛よりも さらに高価だ
民にとって 千の世界よりもさらに
あらゆるいのち・愛よりも さらに高価だ
(今日の箇所はhttp://bibletruthpublishers.com/december-15-words-with-weight/frances-ridley-havergal/opened-treasures/f-r-havergal/la97514です。
※Godhold Beck(115)
『聖書とは何か』第二部[4]
パウロはイザヤとかエレミヤと全く同じように直接主なる神から召された者でした。ガラテヤ書1章11節12節
兄弟たちよ。私はあなたがたに知らせましょう。私が宣べ伝えた福音は、人間によるものではありません。私はそれを人間からは受けなかったし、また教えられもしませんでした。ただイエス・キリストの啓示によって受けたのです。
15節16節
けれども、生まれたときから私を選び分け、恵みをもって召してくださった方が、異邦人の間に御子を宣べ伝えさせるために、御子を私のうちに啓示することをよしとされたとき、私はすぐに、人には相談せず、
と、書いてあります。
2章8節
ペテロにみわざをなして、割礼を受けた者への使徒となさった方が、私にもみわざをなして、異邦人への使徒としてくださったのです。
と、パウロは証しています。
パウロは預言者として召されました。というのは、アナニヤがイエス・キリストの命を受けて彼に次のように伝えているからです。使徒行伝22章の14節と15節に
彼はこう言いました。『私たちの先祖の神は、あなたにみこころを知らせ、義なる方を見させ、その方の口から御声を聞かせようとお定めになったのです。あなたはその方のために、すべての人に対して、あなたの見たこと、聞いたことの証人とされるのですから。
と。この神の召しに基づいて、パウロはつねにイエス・キリストの使徒と自らを呼んでいます。ロマ書1章1節
神の福音のために選び分けられ、使徒として召されたキリスト・イエスのしもべパウロ
と、書いていますし、コリント第一の手紙1章1節です。
神のみこころによってキリスト・イエスの使徒として召されたパウロ
と、なっています。それから、コリント第二の手紙1章1節に
神のみこころによるキリスト・イエスの使徒パウロ
と、書いてありますし、ガラテヤ書1章1節に
使徒となったパウロ――私が使徒となったのは、人間から出たことでなく、また人間の手を通したことでもなく、イエス・キリストと、キリストを死者の中からよみがえらせた父なる神によったのです。――
と、あります。またエペソ書1章1節に
神のみこころによるキリスト・イエスの使徒パウロ
と謳っていますし、コロサイ1章1節に
神のみこころによる、キリスト・イエスの使徒パウロ
と、なっています。同じくテモテ第一の手紙1章1節に
私たちの救い主なる神と私たちの望みなるキリスト・イエスとの命令による、キリスト・イエスの使徒パウロ
云々となっています。またテモテ第二の手紙1章1節に
神のみこころにより、キリスト・イエスにあるいのちの約束によって、キリスト・イエスの使徒となったパウロから
と、なっています。またテトス書1章1節に
神のしもべ、また、イエス・キリストの使徒パウロ――私は、神に選ばれた人々の信仰と、敬虔にふさわしい真理の知識とのために使徒とされたのです。
と、なっています。
引用者註:パウロが使徒であることは、彼自身が諸教会に手紙を書く際に述べた挨拶文に明らかに記されていることを労を厭わず聖書箇所を繰り返し引用されています。一方、アナニヤの言も紹介されていて、厳密な考証がなされています。そして、上述のハヴァガルの黙想とあわせて考える時、パウロを通して語られたことばもまた、聖霊により語られた、いずれおとらず重味のあるみことばだと考えられないでしょうか。)
※Godhold Beck(115)
『聖書とは何か』第二部[4]
パウロはイザヤとかエレミヤと全く同じように直接主なる神から召された者でした。ガラテヤ書1章11節12節
兄弟たちよ。私はあなたがたに知らせましょう。私が宣べ伝えた福音は、人間によるものではありません。私はそれを人間からは受けなかったし、また教えられもしませんでした。ただイエス・キリストの啓示によって受けたのです。
15節16節
けれども、生まれたときから私を選び分け、恵みをもって召してくださった方が、異邦人の間に御子を宣べ伝えさせるために、御子を私のうちに啓示することをよしとされたとき、私はすぐに、人には相談せず、
と、書いてあります。
2章8節
ペテロにみわざをなして、割礼を受けた者への使徒となさった方が、私にもみわざをなして、異邦人への使徒としてくださったのです。
と、パウロは証しています。
パウロは預言者として召されました。というのは、アナニヤがイエス・キリストの命を受けて彼に次のように伝えているからです。使徒行伝22章の14節と15節に
彼はこう言いました。『私たちの先祖の神は、あなたにみこころを知らせ、義なる方を見させ、その方の口から御声を聞かせようとお定めになったのです。あなたはその方のために、すべての人に対して、あなたの見たこと、聞いたことの証人とされるのですから。
と。この神の召しに基づいて、パウロはつねにイエス・キリストの使徒と自らを呼んでいます。ロマ書1章1節
神の福音のために選び分けられ、使徒として召されたキリスト・イエスのしもべパウロ
と、書いていますし、コリント第一の手紙1章1節です。
神のみこころによってキリスト・イエスの使徒として召されたパウロ
と、なっています。それから、コリント第二の手紙1章1節に
神のみこころによるキリスト・イエスの使徒パウロ
と、書いてありますし、ガラテヤ書1章1節に
使徒となったパウロ――私が使徒となったのは、人間から出たことでなく、また人間の手を通したことでもなく、イエス・キリストと、キリストを死者の中からよみがえらせた父なる神によったのです。――
と、あります。またエペソ書1章1節に
神のみこころによるキリスト・イエスの使徒パウロ
と謳っていますし、コロサイ1章1節に
神のみこころによる、キリスト・イエスの使徒パウロ
と、なっています。同じくテモテ第一の手紙1章1節に
私たちの救い主なる神と私たちの望みなるキリスト・イエスとの命令による、キリスト・イエスの使徒パウロ
云々となっています。またテモテ第二の手紙1章1節に
神のみこころにより、キリスト・イエスにあるいのちの約束によって、キリスト・イエスの使徒となったパウロから
と、なっています。またテトス書1章1節に
神のしもべ、また、イエス・キリストの使徒パウロ――私は、神に選ばれた人々の信仰と、敬虔にふさわしい真理の知識とのために使徒とされたのです。
と、なっています。
引用者註:パウロが使徒であることは、彼自身が諸教会に手紙を書く際に述べた挨拶文に明らかに記されていることを労を厭わず聖書箇所を繰り返し引用されています。一方、アナニヤの言も紹介されていて、厳密な考証がなされています。そして、上述のハヴァガルの黙想とあわせて考える時、パウロを通して語られたことばもまた、聖霊により語られた、いずれおとらず重味のあるみことばだと考えられないでしょうか。)
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