2016年12月6日火曜日

今こそ苦しむその時です

旧出島神学校 1878年建立※

私たちがキリストと、栄光をともに受けるために苦難をともにしているなら(ローマ8:17)

 私たちはイエス様とともに戦いに入ることができるにすぎません。その戦いで孤独と疲労を被るのです。この大きな戦場の力に刃向かえる主の助けをいただくことができるにすぎません。私たちは天使たちに与えられなかった好機に尻込みするのでしょうか。確かに栄光のうちにある主とともにいてさえも、弟子たちは主イエス様のおことばを、すなわち主がどのように彼らにおっしゃったかを覚えていなければなりませんでした。「あなたがたこそ、わたしのさまざまの試練の時にも、わたしについて来てくれた人たちです(ルカ22:28)。」そのような特権は彼らのものとなった感謝の頂点の感動をともなうものでありました。

主イエス様は跪き 祈り 地面に口づけし
主の御名を 誉め称えられました
主イエス様が 十字架に つくように 召され
死と恥じを 受けて 主のために 価値あるものと
数えられたのです  

(今日の箇所はhttp://bibletruthpublishers.com/december-6-now-is-the-only-time-to-suffer/frances-ridley-havergal/opened-treasures/f-r-havergal/la97505です。

※Godhold Beck(106)
 長崎に行く機会があった。市内見学の時間はわずか3、40分。ホテルの近くに出島があったので、貪欲に何枚か写真を撮ったが、結局この写真一枚にする。日本最古の神学校とあったから。しかもご丁寧にプロテスタントのと解説に書いてあった。

 大方の人は神学があってのキリスト教だと理解されているだろう。何を隠そう、当方もその一人であった。しかし、26年前ベック宣教師に出会って、それまで教会に20年近く通い続け、神学がわからなければ、聖書の意味を正しくつかみ得ないと思っていたその思いが物の見事に払拭された。それよりも聖書を丹念に読み、食物を食べるごとく、そのまま受け入れることにより渇ける魂が満たされることを知った。一体その根拠はどこにあるか。明日から再びベック兄の別のメッセージの聞き書きを掲載したい。)

0 件のコメント:

コメントを投稿