「見よ、世の罪を取り除く神の小羊。」(ヨハネの福音書1:29)
Godhold Beck(141)
『聖書とは何か』 第六部[2]
聖書は三つの要求をもって一人一人の人間に迫って来ます。すなわち第一番目は「聞きなさい」、第二番目は「信じなさい」、そして第三番目は「従いなさい」ということです。
それでは先ず最初の要求、すなわち「聞きなさい」という要求から見てみることにしましょう。聖書全体は、人間に対して「聞きなさい」というはっきりとした要望、また命令です。この要望はしかしながら人間が聞くことができないならばおかしなことでしょう。みことばが私たちの心の目を開いてくださるということはまさに神のみことばの力です。主イエス様はつんぼの人に「エパタ」すなわち「開け」とおっしゃいました。すると聞こえるようになりました。同じ意味のことばは聖書の中で何回も何回も出てきます。
先ず旧約聖書の呼びかけとして「イスラエルよ、聞け」とよく書き記されているのであります。申命記4章1節
今、イスラエルよ。あなたがたが行なうように私の教えるおきてと定めとを聞きなさい。そうすれば、あなたがたは生き、あなたがたの父祖の神、主が、あなたがたに与えようとしておられる地を所有することができる。
6章4節
聞きなさい。イスラエル。主は私たちの神。主はただひとりである。心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。
9章1節
聞きなさい。イスラエル。あなたはきょう、ヨルダンを渡って、あなたよりも大きくて強い国々を占領しようとしている。
また、「天地よ、聞け。」という表現は、イザヤ書1章2節に書き記されています。
天よ、聞け。地も耳を傾けよ。主が語られるからだ。
10節
聞け。ソドムの首領たち。主のことばを。耳を傾けよ。ゴモラの民。私たちの神のみおしえに。
と、あります。7章13節
そこでイザヤは言った。「さあ、聞け。ダビデの家よ。あなたがたは、人々を煩わすのは小さなこととし、私の神までも煩わすのか。
8章20節
国々の民よ。打ち破られて、わななけ。遠く離れたすべての国々よ。耳を傾けよ。
28章23節
あなたがたは、私の声に耳を傾けて聞け。私の言うことを、注意して聞け。
32章9節
のんきな女たちよ。立ち上がって、わたしの声を聞け。うぬぼれている娘たちよ。わたしの言うことに耳を傾けよ。
34章1節
国々よ。近づいて聞け。諸国の民よ。耳を傾けよ。地と、それに満ちるもの、世界と、そこから生え出たすべてのものよ。聞け。
34章16節
主の書物を調べて読め。これらのもののうちどれも失われていない。それぞれ自分の連れ合いを欠くものはいない。それは、主の口がこれを命じ、主の御霊が、これらを集めたからである。
と、あります。またイザヤ書39章5節
すると、イザヤはヒゼキヤに言った。「万軍の主のことばを聞きなさい。
40章21節
あなたがたは知らないのか。聞かないのか。初めから、告げられなかったのか。地の基がどうして置かれたかを悟らなかったのか。
28節
あなたは知らないのか。聞いていないのか。主は永遠の神、地の果てまで創造された方。疲れることなく、たゆむことなく、その英知は測り知れない。疲れた者には力を与え、精力のない者には活気をつける。若者も疲れ、たゆみ、若い男もつまずき倒れる。しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない。
と、書いてあります。44章1節
今、聞け、わたしのしもべヤコブ、わたしの選んだイスラエルよ。
47章8節
だから今、これを聞け。楽しみにふけり、安心して住んでいる女。心の中で、『私だけは特別だ。私はやもめにはならないし、子を失うことも知らなくて済もう。』と言う者よ。
48章12節
わたしに聞け。ヤコブよ。わたしが呼び出したイスラエルよ。わたしがそれだ。わたしは初めであり、また、終わりである。
51章4節
わたしの民よ。わたしに心を留めよ。わたしの国民よ。わたしに耳を傾けよ。おしえはわたしから出、わたしはわたしの公義を定め、国々の民の光とする。
21節
それゆえ、さあ、これを聞け。悩んでいる者、酔ってはいても、酒のせいではない者よ。
55章3節
耳を傾け、わたしのところに出て来い。聞け。そうすれば、あなたがたは生きる。わたしはあなたがたととこしえの契約、ダビデへの変わらない愛の契約を結ぶ。
と、書いてあります。またマタイ伝17章5節
彼がまだ話している間に、見よ、光り輝く雲がその人々を包み、そして、雲の中から、「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。彼の言うことを聞きなさい。」という声がした。
と、あります。
主イエス様の呼びかけはどういうものだったのでありましょうか。マタイ伝11章15節
耳のある者は聞きなさい。
黙示録 2章7節
耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。
さらに使徒たちの呼びかけとして、使徒行伝2章22節に書いてあります。
イスラエルの人たち。このことばを聞いてください。神はナザレ人イエスによって、あなたがたの間で力あるわざと、不思議なわざと、あかしの奇蹟を行なわれました。それらのことによって、神はあなたがたに、この方のあかしをされたのです。
と。
聖書の結論は次のように証ししています。黙示録1章3節
この預言のことばを朗読する者と、それを聞いて、そこに書かれていることを心に留める人々は幸いである。
同じような意味として、聖書には次のような表現が出てきます。「見なさい」「見よ」「味わいなさい」と。実はもっとも大切な事実は 「見よ」ということばで紹介されています。「見よ、わたしのしもべ」とイザヤ書42章1節に書いてあります。
見よ。わたしのささえるわたしのしもべ、わたしの心の喜ぶわたしが選んだ者。わたしは彼の上にわたしの霊を授け、彼は国々に公義をもたらす。
と、あります。また「見よ、あなたの王があなたのところに来られる」とゼカリヤ書9章9節に書いてあります。
シオンの娘よ。大いに喜べ。エルサレムの娘よ。喜び叫べ。見よ。あなたの王があなたのところに来られる。この方は正しい方で、救いを賜わり、柔和で、ろばに乗られる。
と。また、ルカ伝に「見よ、わたしはあなたがたに大いなる喜びを知らせる」と書いてありますね。
御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。
それから、ヨハネ伝1章29節に
「見よ、世の罪を取り除く神の小羊。」
と、書いてありますし、黙示録3章20節に
見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところにはいって、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。
と、書いてあります。こういう箇所を見るとわかります。もっとも大切な事実は「見よ」ということばで紹介されています。「見よ、わたしのしもべ。」「見よ、あなたの王があなたのところに来られる。」「見よ、わたしは、あなたがたに大いなる喜びを知らせる。」「見よ、これは神の小羊。」「見よ、わたしは戸の外に立っている。」と。
同じように「味わいなさい」という表現も出てきます。詩篇34篇の8節です。
主のすばらしさを味わい、これを見つめよ。幸いなことよ。彼に身を避ける者は。
ペテロ第一の手紙2章3節
あなたがたはすでに、主がいつくしみ深い方であることを味わっているのです。
と、あります。また、みことばは食べ物となります。黙示録10章9節10節に
それで、私は御使いのところに行って、「その小さな巻き物を下さい。」と言った。すると、彼は言った。「それを取って食べなさい。それはあなたの腹には苦いが、あなたの口には蜜のように甘い。」
と、ありますし、エゼキエル書3章1節から3節まで、お読み致します。
その方は私に仰せられた。「人の子よ。あなたの前にあるものを食べよ。この巻き物を食べ、行って、イスラエルの家に告げよ。」そこで、私が口をあけると、その方は私にその巻き物を食べさせ、そして仰せられた。「人の子よ。わたしがあなたに与えるこの巻き物で腹ごしらえをし、あなたの腹を満たせ。」そこで、私はそれを食べた。すると、それは私の口の中で蜜のように甘かった。
と、書いてあります。また、エレミヤ記15章16節に
私はあなたのみことばを見つけ出し、それを食べました。あなたのみことばは、私にとって楽しみとなり、心の喜びとなりました。
と、あります。「聞くこと」は心の態度であり、みことばに対して心を開くことです。すなわち、聞くことは意志の問題です。神がお語りになることを人間が聞きたくないと思うことが、罪の始まりです。
イスラエルの罪は次の三つに別れます。「イスラエルの民は聞こうとしなかった。」「イスラエルの民は信じようとしなかった。」「イスラエルの民は従おうとしなかった。」と、いうことです。エレミヤ7章23節から28節までお読み致します。
ただ、次のことを彼らに命じて言った。『わたしの声に聞き従え。そうすれば、わたしは、あなたがたの神となり、あなたがたは、わたしの民となる。あなたがたをしあわせにするために、わたしが命じるすべての道を歩め。』しかし、彼らは聞かず、耳を傾けず、悪いかたくなな心のはかりごとのままに歩み、前進するどころか後退した。あなたがたの先祖がエジプトの国を出た日から今日まで、わたしはあなたがたに、わたしのしもべであるすべての預言者たちを、毎日朝早くから、たびたび送ったが、彼らはわたしに聞かず、耳を傾けず、うなじのこわい者となって、先祖たちよりも悪くなった。あなたが彼らにこれらのことをすべて語っても、彼らはあなたに聞かず、彼らを呼んでも、彼らはあなたに答えまい。そこであなたは彼らに言え。この民は、自分の神、主の声を聞かず、懲らしめを受けなかった民だ。真実は消えうせ、彼らの口から断たれた。
と、あります。そして25章3節4節に
アモンの子、ユダの王ヨシヤの第十三年から今日まで、この二十三年間、私に主のことばがあり、私はあなたがたに絶えず、しきりに語りかけたのに、あなたがたは聞かなかった。また、主はあなたがたに、主のしもべである預言者たちを早くからたびたび送ったのに、あなたがたは聞かず、聞こうと耳を傾けることもなかった。
と、あります。7節8節
それでも、あなたがたはわたしに聞き従わなかった。――主の御告げ。――それで、あなたがたは手で造った物でわたしの怒りを引き起こし、身にわざわいを招いた。」それゆえ、万軍の主はこう仰せられる。「あなたがたがわたしのことばに聞き従わなかったために、
ロマ書10章21節に
またイスラエルについては、こう言っています。「不従順で反抗する民に対して、わたしは一日中、手を差し伸べた。」
と、あります。
引用者註:ハヴァガルが終わり、ベック兄のメッセージを単独で載せることができるようになった。あと二、三回でこのシリーズも終わりそうである。今後どのように展開して行くか思案中である。 )
2017年1月10日火曜日
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