2017年1月28日土曜日

奉仕とは何か(中)

 主に奉仕するということは信仰の働きです。もしこれが神のみこころであると確信するなら、先ずためらわず前進することができます。このように主にゆだね、まかせ切ることこれがまことの信仰です。何かを始めるに至り、初めは不安です。自分に何の力もない、自分の弱さ、惨めさ、無力さをよく知っているからです。けども、やっているうちに効果が現われて来ます。結果が希望的に見えて来ます。そのうちに自分はできると思い込んでしまいます。これは危険です。我々の奉仕は瞬間、瞬間、一秒、一秒主を見上げ、主につながって行く奉仕でなければ、役に立たないものです。

 色々なことを経験し、なされていても、どんなに年功を積んでいても、全きへりくだりをもって、ただ一人全てを知りたもう、全てをなしたもう主によりたのでいなければなりません。信仰を持つことはそれなんです。「信仰を持たなければ神に喜ばれない」とここで[ヘブル11:6]はっきり書き記されているのであります。

 この旧約聖書を読んで行きますと、レビ人は驚くほどたくさんの奉仕をなしたことがわかりますけど、このレビ人たちはそのご奉仕に自分の力、自分の能力に依り頼まないで、ただ主の力に依り頼んでしたことがわかります。我々のご奉仕も信仰の現れでなければなりません。もしそうするなら、どんな小さなこともほんとうの奉仕になります。パウロはたとえばコロサイ書3章の23節に次のようなことを書いたのですね。奉仕する者の心構えはどういうものであるべきかと
何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心からしなさい。

何をやるのか、それ別に問題ない。どういう気持ちで、動機で、心構えでやるかは問題なのですね。「何をするにも人に対してでなく、主に対してするように心からしなさい」とあります。そして似てる箇所はコリント第一の手紙10章31節ですね
こういうわけで、あなたがたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現わすためにしなさい。

神の栄光があらわされなければ、結局すべてのすべては空しい努力です。「あなたがたは、結局何をしても、ただ神の栄光を現わすためにしなさい。」自分は誤解されても、憎まれても神の栄光だけがあらわれるように切に主に頼りなさい、と。

 まことのご奉仕とはここでも書いてありますように、主の栄光のあらわれることです。それが何であれ、信仰を持って御栄えのためにやるならまことの奉仕。主が語りかけたその答えとして何事もするなら、それはまことの奉仕です。自分の○○の伝統にとらわれず、ひたすらただ主により頼み、すがって歩みたいものです。私たちの生活が、全く主のご支配のもとに入っていることを証しするために、我々の全生活を主にささげたいものです。

 主の栄光を明らかにするために、主ご自身がすべての誉れを受けることこそがまことの奉仕の目的です、結果です。けど、我々は自分の使命を成し遂げるために、もちろん力が必要なのです。いかなる迫害にあってもあふるる喜びが、またいかなる無理解の中にあっても絶えざる平和が必要です。ですから、主に成し遂げる力とは、このような絶えざる喜び、いつまでも続く平和です。喜びがなければ、平和がなければ、力もないのは当然です。主に成し遂げる力とはもちろん「聖霊」です。イエス様を信じ受け入れた人は皆例外なく聖霊の宮であると書いてあります。ロマ書8章9節に、9節の後半だけちょっとお読み致します。いつも引用する箇所です。救いについて考えるとこの箇所はどうしても大切な所じゃないかと思うんですね。
キリストの御霊を持たない人は、キリストのものではありません。

 結局、大切なのはキリストの御霊を持つことです。聖書研究して色んな頭の知識を得ることよりも、キリストの御霊を持つことです。多くのいわゆる聖書学者たちは無神論者です。聖書の知識、確かにあります。けども、キリストの御霊を持たない人は決して救われていません。

 イエス様は我々にあふれでるほど豊かないのちを得させるために来られたと聖書は言っています。「わたしはいのち、豊かなるいのちを得させるために来た。わたしは一つの宗教をつくろうではなく、中々良い教えを伝えるために来たのではなく、わたしはいのちを得させるために来た」とイエス様は言われたのです。

(引用者註:今日の前半の箇所は、後述の今日訳したスパークスの箇所と符合していなくもない箇所だと思った。主を見上げるとは一瞬一瞬十字架から目を離してはならないことだと思ったからである。後半に述べられている「多くのいわゆる聖書学者たちは無神論者です。」という言い方は多くのキリスト教に関心のある人が聞いて欲しい言説である。そしてなぜそう言えるのかを読みとっていただきたい。GB[159]。本日のスパークスは1月11日分を『十字架こそ最大の防御』という題名で訳出した。なお本日の1月28日分は『心の目をあけてください』と題して2011.1.28に訳出済みである。併せてお読みいただければ幸いである。http://stryasheep.blogspot.jp/ をご覧ください。)

0 件のコメント:

コメントを投稿