やはり ハヴァガルの詩 微かに読める! |
キリスト・イエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたを解放した(ローマ8:2)
まず自然法則について話すことにしましょう。自然法則っていったい何ですか。栄養摂取の原理を取り上げてみなさい。その原理が尊重され、体が必要とするものが多くもなく少なくもなくちょうど与えられる限り、栄養摂取の原理が働き、全く無意識のうちに体は成長していくものです。それが無意識のうちに行なわれる自然法則の働きというものです。あなたは原理に従って座ったり、見たり、わずらったりしないでしょう。あなたのすることは食べることだけです。そのあとは原理にまかせるでしょう。もしあなたが原理に違反するならすぐわかります。しかし、原理通りに働くなら、あなたは終日栄養摂取の原理に煩わされることはないでしょう。あなたは食べ物を取り働くだけでしょう。その結果、あなたは働き、活動を続けられるのです。栄養摂取の原理は貫徹されているのです。
ちょうどキリストにある御霊の原理もその通りなんです。それがいのちの原理です。その原理が尊重されるとき実際的な働きをなすのです。この原理は無意識のうちに働くものです。それ自身で全く自然に結果を生み出します。私たちはキリストにあるいのちの御霊の原理を知るようになります。それがこの事態における最も単純な方法です。
主イエス様はご存知でした。ある定められた時でないと、動けないことも、また話すこともできないことも。主イエス様は急かすような御霊の動きやそうするいのちはお持ちにはなりませんでした。ご自身の霊においていのちを働かせられなかったのです。原理は積極的には機能しないのです。
しかし話すべき行動すべきことをすべてご存知の父なる神様が、その時がやってき、主の耳もとで「今が時だ。さあ!言いなさい。さあ!しなさい。」と言われるなら、その通り話されたのです。主イエス様は父なる神様の促しによってだけ急がれたのです。いのちの原理はこのようにして働いたのです。主イエス様は神様のみこころが何であるかをすばやく知られたのです。それがパウロの言う「御霊の心がいのちです」という意味です。
(久しぶりにオースティン・スパークス兄からの引用です。http://www.austin-sparks.net/english/openwindows/003011.html 2011年に『泉あるところⅢ』http://stryasheep.blogspot.jp/ですでにその一部は訳しましたが 、訳せていない日のものがいくつもあります。また例により誤訳の多いものですし、最近終わったばかりのハヴァガルの再点検修正訳も必要なところですが、試みに今日の部分を訳してみました。念のために以前のブログを見ましたら、この13日はすでに訳してあり、今日の訳より6年前の訳の方が正確でしたので、慌ててそれをコピーして載せることにしました。読者のご指導を引き続きお願いします。
※Godhold Beck(144)
以下のベック兄のメッセージは昨年の秋に彦根に帰省中、知人から貸していただいた録音テープの聞き書きである。すでにその梗概は昨年の10月14日の「計画され目論まれる救い」という題名の当ブログで紹介してある。
『主なる神によって愛されている日本人とドイツ人』(上)
誤解されたらちょっと困りますけど、私はキリスト教のために宣伝するために来たのではない。イエス様を紹介するためにだけ来たのです。キリスト教に入って、何十年間がんばってつまずいて離れている人々はいっぱいいます。キリスト教に入らないでイエス様を体験的に知るようになり、そしてあとで後悔するようになる人間は一人もいません。
今言われた山川千秋さんとはキリスト教大嫌いな男でした。東大を出て人気者になり、成功した人だったんですけど、キリスト教と関係を持ちたくないと最後まで思ったのです。けども、彼はイエス・キリストを知るようになってから、もう死を恐れる恐れから解放され、安心して死に向かうことができたのです。彼は「私の人生は空しかった」と告白したことがあります。けども、彼の最後のことばは、死ぬ前のことばは「イエス・キリストこそが私の望みであり、私のすべてです」と言うことができたのです。
結局、皆さんまだ若いからまだ死についてもちろん考えたくないのは決まっているけど、今言われたように私はうちの娘、子ども三人亡くしたんです。その中の一人はリンデ、20歳で癌で召されたのです。病院生活は非常に短かったのですが、7週間だけでした。ちょうどドイツにいる間だったから毎日病院まで行きまして、診察する前に彼女は私は癌ですと姉さんに言ったのです。本人は看護婦さんだったから徹底的に医学書を読んだりして、チャンと癌とわかったのです。けども我々は彼女を一切慰める必要はなかったのです。我々はいつも励まされたのです。「もうちょっと、一足先に天国に行きますよ、待っています」そういう態度を取ったのです。普通の若者は中々死について考えたくないし、死にたくない気持ちを持っているかも知れないけど、うちのリンデは生きる希望をもって死に向かうことができたのです。
名誉人になっても大金持ちになっても人気者になっても心は満たされない。けどもイエス様を知ることによって人間は変わります。
今日の題名はちょっと変わった題名なのです。『主なる神によって愛されている日本人とドイツ人』です。
先ず、日本人とドイツ人についてちょっと考えましょう。そのあとで主なる神について考えて、最後に愛されていることについてしゃべっても恐らくあんまり役に立たないでしょう。神の愛を体験的に知らなければどうせ駄目だからです。けど、愛する皆さんにとってどうしても必要なのは、私も人間に無視されても、万物の造り主によって大いに愛されている、大切にされている、私こそが神の愛の対象である、この確信を得ると、見方変わる。はっきりとした目的をもって毎日進むことができるのです。
ドイツ人と日本人との友情というものは昔からよく知られています。多くのことが二つのお国に共通しているのではないかと思います。まあ、若者はちょっと覚えていないかもしれないけど、たとえば戦争の時に、妥協することなく最後まで戦い、そしてともに敗れたことは一つの例でありましょう。それからまた戦後ドイツも日本も同じように経済の奇跡を実現し、世界を驚かせたことも共通しているのではないかと思います。
もちろん私はドイツ人であることを恥ずかしく思うことも幾つかございます。例えば、「共産主義」。皆さんもよくご存知であるように、マルクスもエンゲルスもドイツ人だったのです。「原子爆弾の発明」もドイツ人の責任です。もっと大きな破局は「聖書批判」でありましょう。これもドイツから出てきたものです。つまり、聖書は現代人にはもはや役に立たないものです、神のことばではないという考え方です。まあ、だからこそ多くの人々はキリスト教に入っていても、洗礼を受けても、生かされていない。本物をつかんでいないからです。
まあ、二つの国民を比較するためにちょっと次のように時代区分をして考えてみたいと思います。第一番目は第一次世界大戦以前の時代においては、「無邪気な喜び」があったと言えましょう。第二番目は第二次世界大戦中の時代においては「狂信的な観念論」がありました。そして第三番目は第二次世界大戦以後の時代においては、人を惑わす「唯物主義」であります。
まあ第一次世界大戦以前には日本には五つの国立大学とたくさんの私立大学だけがありました。けど大学教育がなくても、何らかの目的を達成することができた時代でした。したがって人々が満足していたということが、その時代の特徴であったと言えるでしょう。それと全く同じような状態がドイツにも見られたのです。才能のある人は大学で勉強したんです。両親は金があってもなくても関係なし、国が代わりに面倒をみてたのです。大学に行けば卒業してから高給取りになるということはあまり考えられていませんでした。つまり、人々は自分が持っているもので満足していたのです。その当時は物事を深く考えることができた時代でした。一人一人は「人格形成をする」ことができた時代でした。したがっていつも時間に追われ、人を押しのけて行くというような目まぐるしい時代ではなかったのです。
けど、やがて恐ろしい世界戦争がやって来たのです。それはまさに「むさぼってはならない」という神の掟とは正反対の出来事でした。つまり満足しておられる状態はなくなってしまいました。その当時、ドイツは次のような馬鹿らしい歌が歌われたのです。まあ、僕も心から歌ったんですけど「たとえもっともすぐれた兵士がたくさん倒れても、我々は敵を第一に打ち倒す。今日はドイツが我々のものである。明日は全世界が我々のものになる」そういう歌は良く歌われました。
皆さんも歴史の本を通して知られておられるでしょうけど、ドイツの総統であるアドルフ・ヒットラーのため、そしてドイツ民族のため、祖国のために死ぬことが許されていることこそ本当の名誉なのだと皆、洗脳されてしまったのです。まあ、日本の場合にも神風特攻隊のことだけ考えてもわかるように、妥協なき戦いこそが日本民族の特徴でした。日本もドイツも我々は勝つと確信して言いました。すなわち、そこにはもはや無邪気な喜びではなく狂信的な観念論が支配していたのです。けどもこの狂信的な観念論はすべて悲劇に終わってしまいました。
この敗戦によって多くの人々はすべてのものを奪われてしまい、全く根無し草のようになってしまったのです。新たに物事を深く考えることがどうしても必要になりました。実際多くの人々はまことの救いを探し求めるようになり、生けるまことの神に立ち返り、イエス・キリストに従うようにとなったのです。まあ、私もその中の一人です。戦争後、私はもうおしまいだ、自殺しようとも考えたことがあるだけではなく、まあ首つりのためにひもを探すために出かけたんです。
引用者註:オースティン・スパークス兄は言うまでもなく、ベック兄がロンドンでお世話になられ、大変影響を受けられた方である。しばらく両者の同時掲載が続くことになるが、このベック兄が彦根の短大でなさった講演はベック兄が理性的に極めて透徹した史観・現状認識を持っておられたことを思い、自分だけで聞いておくのはもったいないのでこのような形で再現させていただいた。)
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