2022年4月1日金曜日

主の心意気を知れ

青鷺よ 汝は尋る 餌求めて イエス求むる 砕かれし人
それからイエスは、近くの村々を教えて回られた。また、十二弟子を呼び、二人ずつ遣わし始め、(マルコ6・7)

 イエスは小さい村落をいつでも忘れ給わないお方であった。かつてもカペナウムの伝道が非常な人気で『町中の者が戸口に集まって来た』(マルコ1・33)と言う程であった時に『さあ、近くの別の村里へ行こう』(マルコ1・38)と言って『町』を離れて『村』に赴き給うた。

 このたびは少しくこれと異なってゲネサレの町の人や、カペナウムの町の人や、ナザレの町の人々に信ずる者の少ないのを見て『村々』に向かい給うたのである。ご自身のみでなく十二弟子をこれらの地に遣わし給うた。得意の時にも失意の時にも村落の純朴な人々を忘れ給わなかった。

 もちろん、宣伝の必要上『町々』及びエルサレムの如き都会にも伝道し給うたけれども、小さい『村』のみでなく、人家も少ない『部落』(マルコ6・56)をも顧みて、自ら田舎回りの伝道者になられたことは意味深く感ぜられる。

祈祷

かつて田舎伝道者となり給いし主イエスよ、あなたの眼には都会と田舎との区別なく、凡ての霊魂を尊く見給うことを感謝申し上げます。願わくは世に見落とされやすき者のために愛と同情とを注ぐ者と私をなし給え。アーメン

(以上の文章は『一日一文マルコ伝霊解』青木澄十郎著91頁より参考引用し、題名は引用者が便宜的につけさせていただいているものである。『受肉者耶蘇』は一連のできごとを他の並行福音書記事をも網羅して第25章『再びガリラヤ伝道』と題してその407頁で

1伝道に従える婦人 2ナザレにて 3会堂において説教 4聴衆の困惑 5これに関する耶蘇の説明 6会堂の紛擾 7断崖の絶壁 8真の牧羊者の働き 9使徒の職分 10主の訓練 11彼らの準備 12彼らの饗応 13各種の迫害 14主の要求 15使徒の応答 と展開し、その冒頭に以下の詩を載せている。

『所得に非らず、その失える所、その飲める酒に非らず、濯ぎ出せる酒をもって汝の生涯を計量せよ。蓋し愛の能力は愛の犠牲のうちに宿り、最も多く苦しむものこそ最も多く与うべきものを有する所以なればなり』 エッチ・イイ・エッチ・キング
〈詩篇8・1〜3、マタイ9・35、マルコ6・6、マタイ13・54〜58、マルコ6・1〜6、ルカ4・16〜30、マタイ9・36〜10・16、24・42、マルコ6・7〜13、ルカ9・1〜5、ルカ10・1〜12、ルカ6・40、ルカ12・2〜9、51〜53、17・33、ルカ9・6〉)

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