祈るために、そこを去って山のほうに向かわれた。夕方になったころ、舟は湖の真中に出ており、イエスだけが陸地におられた。・・・夜中の三時ごろ、湖の上を歩いて・・・(マルコ6・46〜48)
『山のほうに向かわれた』のは日の暮れぬうちであったらしい。それから夕方になって来た。寂しい山の中でイエスはただ独りで祈っておられる。四十五節に『向こう岸のベツサイダ』という語があるがこれはペテロ、アンデレ、ヤコブ、ヨハネの住んでいた町でガリラヤ湖の西岸であるから、この『山』は東岸の山であったろう。この辺には山が沢山あるからどれであったかわからない。とにかく寂しい山の中で天の父と唯二人だけで『夜中の三時ごろ』まで語り明かし給うたのである。どんな祈りをなされたのであろう。かような徹夜の祈りはイエスにとっては珍しくなかった。かような大なる祈りがあったればこそ、大なる奇蹟も自然に湧いて出て来る。大なる人格も自然に備わって来る。私どもは実に祈りに貧しい。
祈祷
天の父よ、願わくは私に祈りを御与えください。私は祈ることを知りませんので大変貧しい者です。願わくは私に祈る心を与え、祈ることを教え、夜もすがら祈ってもなお足らないと感じるほどに祈りの美味を味あわせてください。アーメン
(以上の文章は『一日一文マルコ伝霊解』青木澄十郎著105頁より参考引用し、題名は引用者が便宜的につけた。なお、下記はデービッド・スミスの『受肉者耶蘇』上巻448頁〈Days of His Flesh237頁〉からの引用である。
10「イエス湖上を歩み給う」
日は夙に暮れて、夜は更けた。而して暴風が起こったけれども、イエスは外界の喧騒に眼もくれず、只管に天の父との交通に熱注せられた。漸くにして起ち上がられたときは天明けて、湖上を俯瞰せらるれば、風と波とに翻弄せらるる小舟を湖心の彼方に認められた。危急の場合彼らはその主の彼らと共に在さんことを頻りに願ったが、驚くべし、彼らの主は傍近く現われ給うのであった。イエスは波の上を歩いておられた。イエスは傍近く来られたけれども彼らはこれを祝福しなかった。ユダヤ人は夜は友人に逢っても、悪鬼が友人の形を取っているかも図られないと言うので、決して挨拶を交わさなかった。彼らの見るところは悪霊ならんと信じ、これに挨拶せず、驚駭と共に相戒むる声を思わず発した・・・
一方、クレッツマンの『聖書の黙想』は次のように述べる。〈同書106頁〉
主は、一人山の上におられたが、海で弟子たちが逆風に向かって進もうとして、勇敢ではあっても殆んど見込みのない努力をしている様子をごらんになり、そのさまをあわれまれた。が、しばらくの間は、賢明なご配慮によって、弟子たちを苦闘し続けるにまかせておかれた。いつもそうであったように、主は最も必要な時に、救いの御手を差しのべることができるのだということを示そうとなさったのである。波のさかまく海上を歩いて、主が突然、夜の闇から姿を現わした時、弟子たちは驚きのあまり叫び声を上げた程だった。・・・)
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