2022年4月24日日曜日

神の御前で正直たれ

『この民は、口先ではわたしを敬うが、その心は、わたしから遠く離れている。彼らが、わたしを拝んでも、むだなことである。人間の教えを、教えとして教えるだけだから。』(マルコ7・6)

 偽善の最も醜いのはそれが神に対する時である。人に対する時である。人に対する偽善も醜いには相違ないが、このごまかしによって多少は幸福を受ける人もある。神に対する偽善に至っては沙汰の限りである。一切を見透し給う神を馬鹿にしているのである。神をめくら扱いにしているのである。かような態度で神に向かえば、神に向かわないよりも更に悪い。近づく代わりに『遠ざかる』のである。されば、祈りの時、礼拝の時、何よりも大切なのは真実な態度である。罪があってもよい。その有りのままで神の前に出るのである。神に対する不平があったとしたらそれでもよい。天の父は憐んで下さる、赦して下さる。ただ自分の真相を押しかくして居る者には手が付けられないのである。

祈祷
神よ、願わくは、私をしてあなたの前には赤裸々なるを忘れさせないようにして下さい。願わくは、私をしてあなたの前にあっては赤ちゃんが慈母に対しているように、有りのままでおらせて下さい。アーメン

(以上の文章は『一日一文マルコ伝霊解』青木澄十郎著114頁より参考引用し、題名は引用者が便宜的につけた。以下、クレッツマンの『聖書の黙想』112頁から

 さて、ここで主はあからさまな攻勢に転じて、パリサイ人や、そのたぐいの連中が自分たちの言い伝えを守るために、神の戒めを踏みにじっているのをお責めになった。主は第四の戒めを引かれている。その戒めの求めているところは明瞭だ。「父と母を敬え」)

0 件のコメント:

コメントを投稿