しかし、弟子たちは、イエスが湖を歩いておられるのを見て、幽霊だと思い、叫び声をあげた。(マルコ6・9)
世に奇蹟を信じない人が多い。奇蹟を信ずるのは常識や理屈に適わぬように見えて困難を感ずる。幾度も幾度もイエスの奇蹟を目撃した弟子らも容易に奇蹟信者にはなれなくて常識信者であった。一面から見ればイエスのご一生の努力は弟子らに奇蹟信仰を与えんとの御骨折りであったとも言えよう。この奇蹟もそのご努力の現われである。常識は必要なものである。しかし常識が人の全部を支配する時に、人は飛躍の力を失ってしまう。固定した常識、乾燥した常識、常識以上を知り得ない常識は人をミイラにしてしまう。現代には信者のミイラが多い。なぜ弟子らは『幽霊』俗に言うバケモノには海上を歩む力のあることを信じ得て、イエスが海上を歩むのを信じ得なかったか。彼らは実に常識の矛盾を暴露してはいないだろうか。現代の自称合理論者も大抵常識のバケモノを信じ得てイエスの奇蹟を信じ得ない輩である。
祈祷
主イエスよ、願わくは『幽霊』を信ずることを止めて、あなたを信じられるようにして下さい。常識のミイラを脱いで信仰の大世界に飛躍させて下さい。アーメン
(以上の文章は『一日一文マルコ伝霊解』青木澄十郎著107頁より参考引用し、題名は引用者が便宜的につけた。なお、下記に『Days of His Flesh』から二文転写する。今日は期せずしてイースター復活節である。イエスさまの海上渡渉を論ずるこの論考はありがたい。
11「この奇跡の意義」
これ実に驚くべき物語にして、数世紀の間信仰に困難を感ぜられ、不信者の嘲笑する所となったものである。これは到底不可能なることが明白のように思わるる。ストラウスは『この記事を信ずるに難き理由はこれなり。如何なる人類の体軀をも、いやしくも除外例を許さず支配せる法則に、単にイエスの体軀のみ免れ得るが如し。すなわち引力に抗するものにして、イエスはただ水に沈まれざりしのみならず、これに湿らされず、堅固なる地上におけるが如く地上に浮かびて歩まれたるは自然法に反す』と論じた。また、これは甚だ奇怪の事実のように思わるる。第二世紀の後半、ルシアンが彼の得意な鋭敏骨を刺す毒舌の砲撃を仮借する所なく加えて以来絶えず不信者の嘲笑の的となっているのである。これに対して如何なる答弁をなすべきであろうか。十八世紀の自然派はこれを説明し去ろうと企てて、暴風の狂うまに小舟は陸近くに吹き寄せられて、弟子たちが、イエスを見たときにには、イエスはただ陸岸を歩いておられたので、水上を歩かれたのではないと主張した。ストラウス以来奇蹟を信ずべからずと為すの徒は、これを神話なりとし、啻に旧約聖書中の紅海渡渉の物語や、エリシャがエリヤの上衣をもってその水を打てるときヨルダンの河水の分かれた記事〈2列王2・13〜14〉のみならず、皆彼の詩篇の作者が『あなたの道は海の中にあり、あなたの小道は大水の中にありました。それで、あなたの足跡を見た者はありません』〈詩篇77・19〉と言えるときユダヤ詩人の大胆な想像なりと論断する標準を求めているのである。
12「復活の預言」
しかし、かくの如き維々たる方法をもってこの物語を棄て去るわけにはいかない。事実この奇蹟は群衆に食を供せられたと等しき重大なる預言的の目的があるのである。主の聖胸〈みこころ〉は未来の予想ーー『キリストの苦難とそれに続く栄光』〈1ペテロ1・11〉とに満ち満ちでいた。故に、ここで十二使徒の思想を導いて、来るべき所に応ずるの準備を為さしめんと欲せられたのであった。バプテスマのヨハネの死を聞かれたる日より教育の揺がざる目標は最期の事件ーーその死と復活とを了解せしむるにあった。斯くして群衆に食を供せられたのは晩餐とその死との預言であって、この奇蹟は復活の預言であった。もちろん人間の体躯で水上を歩むは不可能である。しかし霊体は自然法以外の法則に支配せらるべきものであって、もし閉ざしたる屋内に入り来って、その弟子の集会せる室に現わるることが、復活せられた主に可能であったとするならば、神の大能によって霊的状態を取って水上を歩まるることも可能であると言わねばならぬ〈ヨハネ20・19、26〉。弟子たちは当時この説明し難き秘儀を悟ることができなかった。彼らにして、もし彼らの主の奇蹟を目撃し、これを確信したりとせば、これをもってもなお、世の反対論が如何に跳梁を極めても、イエスに対して一指も染むるを得ないのである。〈『受肉者耶蘇』457〜460頁、『Days of His Flesh』238 ~239頁〉)
0 件のコメント:
コメントを投稿