そこで彼らは、舟に乗って、自分たちだけで寂しい所へ行った。ところが、多くの人々が、彼らの出て行くのを見、それと気づいて、方々の町々からそこへ徒歩で駆けつけ、彼らよりも先に着いてしまった。イエスは、舟から上がられると、多くの群衆をご覧になった。そして彼らが羊飼いのいない羊のようであるのを深くあわれみ、いろいろと教え始められた。(マルコ6・32〜34)
いつの時代でも同じことである。物見高い群衆は好奇心に駆られて、珍しい動物でも見るように有名な人を見に集まる。大演説会などに集まるのはこうした手合いが多い。心無き彼らはイエスのお疲れも使徒たちの失望も考えたり遠慮したりするだけの思慮も同情もあったものではない。かような群衆は多いほど淋しい。実に『風に揺れる葦』である『羊飼いのいない羊』である。水に流るる浮草である。それでも忍耐深く慈悲深いイエスはこれを見て邪魔だとも思わずうるさいとも思わず『深くあわれみ、いろいろと教え始められた』。
祈祷
主よ、浮き草のように浮雲のように風に動かさられる私たちをなおも憐れんで多くのことを教えてくださることを感謝申し上げます。私たちには昔のお弟子たちの素質もなく、熱情もありません。けれども私たちを憐れんでお棄てにならないことを感謝申し上げます。アーメン
(以上の文章は『一日一文マルコ伝霊解』青木澄十郎著101頁より参考引用し、題名は引用者がつけた。以下の文章は昨日のクレッツマンの『聖書の黙想』の続きである。
使徒たちは民衆に、生命に至る道を教え、その言葉を、しるしと奇跡によって証拠立てるという胸のおどるような経験を味わった後、喜びにあふれて、その成功を師に報じた。彼らはどんなに緊張してその務めを果たしたことか、それをイエスはご存知だった。弟子たちに誠の心を望みつつも、反面その人間としての限界を思いやってくださるのだ。主ご自身が真の人間であられたから、弟子たちみんなが休息を必要としていることに気づかぬ訳はなかった。
そこで彼は群衆を避けて、どこか静かな場所を捜すように言われた。人々は出たり入ったりして、一行に食事の暇も与えてくれなかったからである。彼らは、人出が鈍った時を利用して小舟に乗り、休息させてくれる場所を捜しに出かけた。しかし、結局はそこも憩いの場所とはならなかったのである。群衆は一行が出発するのを見て、どこへ向かうのかを察するや、大挙して湖のふちをまわって、イエスでさえまだ到着されないうちに、向こうに着いて、イエスが上陸すると同時に取り囲んでしまった。別の福音書によると、そこは春には草の生い茂るベッサイダ・ジュリアと呼ばれる土地だったという。
さて、ここで、私たちは真実の救い主が、それにふさわしいみわざを行なわれた一つの典型的な場面に遭遇する。休息という考えは、みんな忘れ去られてしまう。預言者エゼキエルが(34章で)述べているように、まさに羊飼いのもとを放れた羊にも似た民衆のありさまに、主は深くあわれみの心を寄せないではおられなくなられた。なすべきことは、ただ一つしかない。羊飼いとしてのご自身の愛を証することである。そこで主は『いろいろと教え始められた』。
これに対してデービッド・スミスは3「ベッサイダ・ユリヤの近郊」と題して次の一文を載せている。〈『受肉者耶蘇』上巻447頁より〉
イエスは十二使徒とともに舟に乗り、東北に舵を取って、水豊かに地味好く沃えた平地の狭く走るベッサイダ・ユリヤの近郊の地に来られたが、時はあたかも春で、一面に緑の草葉は新しい絨毯の如く敷かれていた。イエスは閑静な所に退く目的でここに来られたのであるけれども、その出発を看取した大群の民衆はカペナウムを後に、対岸においてイエスに会せんとして湖の北部を迂回してついてきた〈ヨハネ6・4〉。これは甚だしい迂回であって、彼らがここに達せざるうち、イエスはその弟子とともに上陸して、平原背後の高丘に隠退せられた。間もなくイエスは彼らが遠路の旅に疲れ、ある者は殊に憐れな様で近づいて来るのを認められた。蓋し彼らのうちには治療を受けたいとの希望から、この難路を喘ぎ喘ぎ歩いて来た病人さえもあったからであった。真の牧羊者の心は牧うものなき群民に対して憐憫の情に打たれ、その隠退の地を出でて、温かに彼らを迎え、これに教え、またその病を癒されたのであった。)
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