2022年4月23日土曜日

あなたがたは偽善者である

イエスは彼らに言われた。「イザヤはあなたがた偽善者について預言をして、こう書いているが、まさにそのとおりです。『この民は、口先ではわたしを敬うが、その心は、わたしから遠く離れている。彼らが、わたしを拝んでも、むだなことである。人間の教えを、教えとして教えるだけだから。』・・・(マルコ7・6〜7)

 随分無遠慮な言い方である。『あなたがた偽善者』とは露骨すぎる挨拶であるように見える。けれども孔子も巧言令色は仁が少ないと言ってこれを嫌った。他の罪悪については常に寛大で赦免的であったイエスも、外面と内面との二重生活を平気でやっている人に対しては実に峻烈であった。峻烈であったと言うよりも正直に言動されたと言った方がよい。イエスがもし彼らに対して巧言令色を用いたならば、それは偽善と同じ罪を犯すことになる。人間の弱さから生ずる罪は愛によってのみ医されるけれども無反省から生ずる表裏二重の生活者に対してはこれを医すの道はその真相を暴露せしむるの外はあるまい。然り、露骨な直言直行のほかに彼らを救う方法は無いのである。されば峻烈な直言こそ真の愛の発露と言わねばならない。

祈祷
主よ、あなたは如何なる罪悪よりも偽善をお嫌いなさいます。あなたは先ず私たちに対して自らの真相を見る事を願われます。願わくは、あなたのX線を以って私の内臓の腐敗を示し、私にへりくだることをお教え下さい。アーメン

(以上の文章は『一日一文マルコ伝霊解』青木澄十郎著113頁より参考引用し、題名は引用者が便宜的につけた。以下、クレッツマンの『聖書の黙想』111頁から

 いつものように、主はここでも、これらの人々の思い通りに守勢に立たせられるままにはならなかった。この場の情況を制するカギは主の手中に握られていた。彼は神のみことばを味方に備えていたからである。そこでこれらの人々の心の中を素早く読み取って、これを偽善者と呼び、預言者イザヤの次のことばを彼らに当てはめられた。

 『この民は、口先ではわたしを敬うが、その心は、わたしから遠く離れている。彼らが、わたしを拝んでも、むだなことである。人間の教えを、教えとして教えるだけだから。』

 私たちの心が、神に対して信仰上、正しくない時、上辺だけの敬虔を装って神を喜ばせることはできない。人間の言い伝えや儀式を、もし私たちが神のみことばの上に置くとしたら、それは神に対する冒涜になるだろう。)

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