イエスは、そこを出てツロの地方へ行かれた。家にはいられたとき、だれにも知られたくないと思われたが、・・・(マルコ7・24)
ツロに往ったのではない、その付近即ちガリラヤの北端まで往き給うたのであるという説が多い。しかし31節に『シドンを通って』とあるのを見ると、ツロの地に往ったのであるかも知れない。とにかく人を避けるために遠方まで行ったのである。伝道を始めてから二年半の余になるがパリサイ人たちとの距離は大きくなるばかり、『洗わない手で食事をする』問題をキッカケにしてイエスは儀式や戒律の無効をほのめかしたことは彼らの反省を喚起せずして、反抗を増し加えた。常に喜んでイエスに聴く大衆はと言えば依然として好奇心によってのみ動く浅はかな人々である。さればイエスは彼らから退いて、少数でもよいから静かに『家にはいられ』十二弟子たちに天国の奥義を教えんと為し給うたのである。地上に弟子たちと共に居り給うのも最早永くは無いことを知って居られた。9章の30節にも『ガリラヤを通って行った。イエスは人に知られたくないと思われた。それは、イエスは弟子たちを教えて、「人の子は人々の手に引き渡され、彼らはこれを殺す。しかし、殺されて、三日の後に、人の子はよみがえる。」と話しておられたからである。』と書いてある。この『通って』の字には大道を通らず、小道を通ってコッソリと通り過ぎ給う様子が現われている。広い宣伝を全く止めたのではないが、残る8、9ヶ月を主として弟子たちの教育に注がんと為し給うたのである。
祈祷
ああ主イエスよ、あなたを解せざる群衆を去りて少数の弟子たちと共に『家にはいられ』る主よ、願わくは、私をも棄て給うことなく、密室の中にありて親しく私を教えることを忘れないで下さい。アーメン
(以上の文章は『一日一文マルコ伝霊解』青木澄十郎著121頁より参考引用し、題名は引用者が便宜的につけた。以下はクレッツマンの『聖書の黙想』115頁からの引用である。
かつて、一度だけ、イエスは聖地の領界を越えたことがあったが、それは残忍な王ヘロデの怒りから、背中に負われてのがれて行った、まだ幼い日のことだった。ヘロデ王は御子を捜し出して殺そうとしていたのである。
今度は、イエスは弟子たちといっしょで、北へ向けて旅路をとり、ガリラヤ湖のある低地から山を越えて、古代史上に名高い、誇りある独立の民、フェニキア人の地を眼前にする所まで来られた。彼の今度の目的は異教徒の地に福音の御言葉をもたらすことではなくて(これは使徒たちの仕事にまかせて)、わずかの休息を求めること、それから、時間を見つけて弟子たちの将来の務めについて、もっと、くわしい指示を与えることと、今後の仕事に備えて、彼らを力づけることだった。
「家にはいり、誰にも知られたくない」と思われたのは「イエスが世を忍んで、身を隠した」ことを意味しているのではない。イエスは決して、敵を恐れていたのではなかったからだ。もし、何か恐れるものがあったとしたら、それは押しつけられた人気のようなものだったろう。人々がイエスを王にしようと企てていたことは、主を喜ばせなかった。彼が訪れたのは、地上の王国を建てるためではなかったのに、彼の自由や力や救いに心を向けたのは、極めて稀な人に過ぎなかった。
イエスはまことの人としても、どこか民衆に気づかれない場所で、ご自身の休息を必要とされたのである。また、彼がいつも、ひそかに心にかけ、思いやっておられる弟子たちは主の御国の性格や、自分たちの務めの性質について、もっと詳しく知っておく必要があったのだ。こんな訳で、イエスは、はるか北方のユダヤの地へ向けて、道をたどり、とある家に身をひそめようとされた。)
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