ドイツ・ボーデン湖畔※ 2005.10.21 |
ツロ、シドンへの長途の旅行から帰ったばかりであるが、パリサイ人たちの不信仰と陰謀とに出遭って、またすぐに、ピリポ・カイザリヤ(北方二、三十英里)へ向かって長い旅行を始められた(27節を見よ)彼らを恐れて逃げたのではないが、彼らと偕に在ることを不愉快と為し給う他には違いあるまい。教養のある人は無益の争いを好まぬ。と同時に低級な人々の俗論を聞くのも不愉快でたまらぬものである。そんな途中に邪魔をされることはお弟子たちの教育の妨げともなる。争って勝利してみたところで信仰に入るような正直さを持たない彼らであるから、これを避けるのが最善の方法であったのであろう。がしかし『彼らを離れ』の語は何となく恐ろしいもののように私には響く。主イエスが私に愛想をつかして行き給うことがあったら、どんなに寂しいだろうと思うとたまらなくなる。
祈祷
主イエスよ、願わくは私を離れ去らないで下さい。たとい私のうちに度々反逆の声が起こることがあっても、たといあなたの心が私のうちに成ることがなくとも、願わくは私を離れられることがないようにして下さい。私を忍び私を赦して、私とともにいて下さい。アーメン
(以上の文章は『一日一文マルコ伝霊解』青木澄十郎著132頁より参考引用し、題名は引用者が便宜的につけた。『受肉者耶蘇〈Days of His Flesh〉』昨日の6「主の拒絶」に引き続き、7「北方へ脱出」と題して以下のように述べている。
これらの悪意を含む論争の間に十二使徒を教訓されることはイエスに不可能であった。ゆえにこの地を去って更に隠退の場所を求められねばならなかった。果たしていずれに向かわれて然るべきであろう。ガリラヤはすでに禁足の地であって、湖の東岸もまた望みがなかった。選ばれるべき地は更になかったけれども、なお北方に今一回赴いて異教徒の地に隠れ家を求められることとなった。故に再び湖岸に出て、乗船して湖の頭部の端に航路を転ぜられた。航程13マイルであったが小舟の緩やかに湖上を滑る間、天の王国に関して十二人を教育される機会を得られた。
※著者のデーヴィツド・スミスはこれらすべての項目を含めて第30章としてその表題に『彷徨』と名付けている。まことにふさわしい題名である。昨今の知床半島の観光遊覧船の事故を思うにつけガリラヤ湖畔もまた荒れる時は荒れるだろう。その海風を支配なさるイエスさまが今日の最後のフレーズにあるように「緩やかに湖上を滑る間、天の王国に関して十二人を教育される機会を得られた」とはまことに弟子たちにとっても至福の時であったろう。思わず10数年前の湖岸の風景を思い出した。ドイツ国内であることは確かであるが、ボーデン湖であったかどうかは怪しいが、とりあえずそうした。)
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