2022年5月8日日曜日

エパタ(下)

すると彼の耳が開き、舌のもつれもすぐに解け、はっきりと話せるようになった。(マルコ7・35)

 これは肉体の癒しであった。ああ私は本当にこの人の如くに癒されたい。主はかつてパリサイ人に対して『汝ら目しいなりしならば幸いなりしならん』と言い給うた※ことがあるが、私も盲目でつんぼであったなら反って幸福であったかも知れない。私はかつて肺尖と咽喉とを病んで1ヵ年も発声を禁ぜられ、家の者とも筆談をしていたことがあるが、あの時に私は『神様、どうか私に祈り、讃美し、道を説く(Pray, praise, preach)だけの声を与えて下さい』と祈った。而して声は与えられた。然るに私はその声を以上の三つだけに用いていないのは残念である。今でも咽喉を害するごとに、この声を悪しく用いている事を思い出して悔ゆる。どうか心の舌の縺れがとけて正しく物いうようになりたい。

祈祷
主よ、私の肉体の目と耳と口とが開けているために反って心の目が暗く耳が鈍く舌がもつれていることを苦しみます。どうか私の肉体と霊魂とが調和して共に開かれるようにしていただきとう存じます。アーメン

(以上の文章は『一日一文マルコ伝霊解』青木澄十郎著128頁より参考引用し、題名は引用者が便宜的につけた。※このイエスさまの言葉はどこにあるのだろうか。引用者は「もしあなたがたが盲目であったなら、あなたがたに罪はなかったでしょう」〈ヨハネ9・41〉しか思いつかないのだが・・・。読者諸兄でこれ以外のズバリのみことばがあったら教えていただきたい。それにしても、青木さんの経験を今病に伏している身近の友が経験して居られる。その方は「主が戦って下さる」と言って居られる。〈1サムエル17・47〉病床にある友の回復のために祈る者である。)

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