それから、イエスはツロの地方を去り、シドンを通って、もう一度、デカポリス地方のあたりのガリラヤ湖に来られた。(マルコ7・31)
ガリラヤ伝道の中心地であったカペナウムからツロまでは北方へ約30マイル、ツロからシドンまではさらに北へ20マイル往かねばならぬ。加うるにツロもシドンも外国の町々である。この頃のイエスのご心中を察すると誠にお淋しいものがあったらしい。理解してくれぬ群衆、しかも勝手な解釈を携えて押し迫る群衆、海の彼岸や山の上に彼らを避けても避けきれぬほどにつきまとう群衆ともすれば彼を擁立して王とせんとする莫迦らしき群衆。今やイエスは彼らを避けて十二弟子らを訓育するためにツロまでもシドンまでも逃れ出で給うた。私はイエスの大説教を聞くよりも、大奇蹟を見るよりも、この長途の静かなご旅行にお伴してジックリとお話を承りたい。密室における聖書と祈祷と瞑想とは今でも主イエスをお迎えすることができるのは何よりも嬉しいことである。
祈祷
主イエスよ、私にはとても大きな仕事などは出来ません。ただもっと深くあなたを識り、あなたに近づき、あなたの教えを受けとう存じます。どうかこのイクジナイ私を憐んでお膝元に置いて下さい。アーメン
(以上の文章は『一日一文マルコ伝霊解』青木澄十郎著125頁より参考引用し、題名は引用者が便宜的につけた。デーヴィッド・スミスの『受肉者耶蘇』はこれから数日にわたって展開する聖書記事について次のように書いているので、そのアウトラインだけを以下に紹介する。邦訳書490頁、原書254頁より
第30章 彷徨
『イエスのイスラエルに現われ給うや、彼らは時にこれを荒野に逐い、時には砂漠に、時には海に、また時には山中に逐いぬ。しかもなおその赴かるる所として新たなる敵の襲撃に遇われざる所なく、追撃を被られざる所なかりき』 ジョン・バンヤン
(マタイ15・29〜16・12、マルコ7・31〜8・36)
1「隠退の場所の選択」2「湖の東岸にての奇蹟」3「再び奇蹟をもって養わる」4「舟によりて遁れ給う」5「パリサイ人サドカイ人来着」〈天よりのしるしの要求〉6「主の拒絶」7「北方への脱出」〈パリサイとサドカイのパン種〉8「十二使徒の遅鈍」9「ベッサイダの盲人の療治」10「ベタニヤより脱出」
1「隠退の場所の選択」
フェニキヤにおける活動の間にも、イエスは決してその中心の目的から眼を放たれなかった。そのシドンを去って直ちに南方に向かわるるや、何らの妨害をも受けず十二使徒を教訓すべき隠遁の場所を発見せんと努められた。しかもその計画は無効に帰した。群衆はその前提に集まって四千に及ぶまでに漸次増加したのであった。)
0 件のコメント:
コメントを投稿