人々は、耳が聞こえず、口のきけない人を連れて来て、彼の上に手を置いて下さるように願った。そこで、イエスは、その人だけを群衆の中から連れ出し、その両耳に指を差し入れ、それからつばきをして、その人の舌にさわられた。そして、天を見上げ、深く嘆息して、その人に「エパタ。」すなわち「開け」と言われた。(マルコ7・32〜34)
いつまで待っても人々は肉体の病を癒されんことを求めるばかりで霊魂の救いを求めない。イエスはご一生をこの方面につぶしておしまいになる考えは無い。だからなるべく人々に知られないために『その人だけを連れ出し』たのである。『天を見上げ、深く嘆息し』給うたのも人々が肉の事のみを考えて霊の事を考えないのを嘆息し給うたのであろう。私どもはいつでも斯うである。肉の恵みは大きく感ずるけれども、その感謝は肉の事に終わってしまう。キリストが私の霊魂に何を為し何を与えんと為しつつあるかをモット深く心にかけ、モット一生懸命に求めなければ私は主に失望を与えるばかりである。
祈祷
ああ主よ、肉の事をのみ思い肉のことにのみ囚わるる私を憐んで下さい。願わくは肉体の疾病を感ずるにまさりて霊魂の疾病を感ずるに敏感にならせて下さい。アーメン
(以上の文章は『一日一文マルコ伝霊解』青木澄十郎著126頁より参考引用し、題名は引用者が便宜的につけた。
2「湖の東岸にての奇蹟」
イエスは今この迷惑極まる事情から脱出せらるる事が緊急の必要条件であったので、その湖岸に達せらるるや、遁れ出づべき努力を試み給うた。東岸のいずれの所か、丘の上に登って、群衆がその閑静を望まるる聖旨を重んじて、去り行くであろうと考えながら暫く待たれた。しかもここに於いても失望の他はなかった。この地方の民衆はイエスの来らるるを聴いて多くの患者ーーびっこの者、聾者、不具者、その他種々の病者ーーを癒されんがために伴って来たのであった。イエスは山上に登られたけれども、彼らは聊かも辟易せず、これらの憐れな病者を負うて後を逐いつつ、その聖足の下に伴うのであった。彼らの救済を等閑にすることはイエスの耐え給う所ではない、すなわち彼らを悉く癒された。
ただ一つの事件が特別の注意を曳くのであるが、それは聾にして訥る患者であった。彼が自らイエスに来らずして、運ばれて来た所を見ると、その精神にも異常があったものと思わるるのである。その混乱した頭脳を調えずに耳や舌を治されても、効は少ないので、イエスはその僅かな祝福を転じて偉大なものたらしめ給うのであった。すなわち、その人を側に伴い、塞がった耳を穿つかの如く、指を耳に嵌め、また当時においては医療の効あるものと信ぜられた唾を以て吃る舌を潤おされた。これはその錯乱した頭脳に希望を湧かしむる手段であって彼の不用意なるに拘らず有力な助勢が加わってその効が一層強く現われたのであった。
彼の憐れむべき風姿は痛く聖情を揺るがして、イエスは『天を見上げ、深く嘆息』せられた。その温情に満つる聖手の所作が、この憐れな患者の注意を引くとともに憐れみの篭る聖顔に彼は全幅の信頼の念を置いた。彼は慈愛に溢るる未知の人物に頼ち恃んで、その欲せらるるがままに動くこととなった。『開け』とのイエスの聖語と同時に奇蹟は完成された。聾いた耳は通じて訥った舌は弛み、自由に語ることを得たのである。
青木さんの霊想と言い、デーヴィッド・スミスのこの論考と言い、いずれも優れており、引用者にとってはどちらを選ぶにも甲乙つけ難しの思いがした。そしてデーヴィッド・スミスのこの末尾の文章を通して、バプテスマのヨハネのお父さんザカリヤに及んだ主のみわざを思い新たな感慨を覚えさせられたことを記しておく。)
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