舟は波をかぶって、水でいっぱいになった。ところがイエスだけは、とものほうで、枕をして眠っておられた。(マルコ4・37〜38)
茵(しとね)という漁夫が舟の中で用いる皮か板で造られた小さい腰掛け、あるいは座布団のようなものがともの方に置いてあった。このかたい台を枕として舟板の上にころがって直ぐ熟睡に入られた。いかにも簡単な生活に慣れておられたことが見える。
ぜいたくどころではない、少しの安楽もなめたことなしに鍛えられて来られたお体であることが知れる。連日の激しい働きでいくら疲れておられたとは言え、打ち込む波で御衣服などもビショビショになったのも知らずに寝ておられたのである。何という大なる熟睡であろう。
暴風怒涛の中に安眠する沈勇にも驚くけれども、荒波をかぶりながら目もさまさずに居ることのできる肉体の鍛錬には驚くのほかはない。少しの音響にも安眠を妨げられる私どもの神経過敏はむしろ病的と言いたい。しかもイエスは何事にかけても、あれほど敏感であられたではないか。不思議なお方である。
祈祷
神様、私どもは霊魂とともに肉体も堕落しているのであります。安楽を貪り過ぎて、全く病的になっております。どうぞ霊も肉も今少し剛健にして下さい。アーメン
(以上の文章は『一日一文マルコ伝霊解』青木澄十郎著69頁より参考引用し、題名は引用者が便宜的につけさせていただいているものである。 なお、昨日に続いてThe Days of His Flesh』by Smith Davidの描写をたどりたい。邦訳名『受肉者耶蘇』上巻日高善一訳367頁からの第22章「湖を渡りて隠退」と題する箇所からの引用である。
ガリラヤの湖にはたびたび台風が襲ってくる。四囲高い断崖に包まれて、蒸し暑き日の夕暮れには、高原より冷たき空気の恐るべき勢いをもって、この谷間に突撃してくるのが常であった。この日にも、色褪せゆく夕暮れの光を浴びて、小舟の一団の滑りゆく間に、黒雲を飛ばしつつ、篠のごとき雨をそそぐ台風は、異常の狂暴の勢いをもって押し寄せてきた。瞬時にして湖面一帯、狂瀾怒濤の荒れるにまかせる境域となった。激浪は片々たる小舟に迫って、その頭上に砕け、飛沫は舟も沈めと満ちてきた。今一撃にして彼らは覆没するのほかない。
耶蘇は咆哮する風にも、荒れ狂う浪にも、しのつく雨にも頓着せず、静かに眠っておらるるのであった。恐怖におののく弟子たちは、主を揺り起こしつつ『主よ、主よ、我ら滅びんとす』と嘆願した。
※まさに躍動感あふるる、Smith Davidの描写であり、それを受けての日高善一氏の訳文である。同書は1922年の出版であるから、ちょうど100年前の本になる。引用者は小学4年のころ父親と一緒に琵琶湖で小舟に乗船し転覆しそうな恐怖を味わったことが一度だけある。その昔、ヴォーリズさんは琵琶湖にガリラヤ丸と称する福音伝播の船を走らせたと聞いている。)
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