『受肉者耶蘇』の第22章「湖を渡りて隠退」は、既述した一編の詩に続き、以下に列挙する13の小見出しのもと説明がなされる。(『受肉者耶蘇』上巻369頁以下より転写)
1「上舟」2「耶蘇眠らる」3「台風」4「耶蘇これを誡む」5「ガダラ」6「墓地の狂人」7「彼と耶蘇との邂逅(かいこう)」8「豚に関する事件」9「寛容なる戦略」10「狂人耶蘇を認む」11「ガダラ町民の無情」12「耶蘇の退去」13「前の狂者の伝道」
この中から5以下の九項目を順次に紹介させていただく。
5「ガダラ」 一行はかくして現今もなおその昔の名を転訛しケルサと称し頽廃した古跡の残っているガダラという町の近傍にあたる湖の東岸に上陸した。『この地は大いならねども四囲城壁に包まれたるがごとく、重要なる市街なりしと思わる・・・湖岸を去る咫尺(しせき)の間にあり、巨山覆いかぶさるごとくに聳えたり』。東岸はいずこも渚まで緩やかな勾配であるが、ただここのみは山が岸に迫って、急な懸崖をなしている。市街の旧跡の近郊に昔の墓地の跡が山腹に刻み出されている。
6「墓地の狂人」 イエスは小舟を後にして山へと登って行かれた。その目的は疑うべくもないのである。暴風雨の治って一行が着陸したのは早天であって、いわゆる『夜明け前に』、ある閑静な地を選んで祈祷せらるる思召であったに相違はなく、その好んで赴かれた礼拝堂は山の頂上であった。(マタイ16・23、マルコ6・46、ヨハネ6・15)今山腹を攀じ登らるる中途に恐るべき難事に邂逅せられた。恰もその墓地に差し掛からるるや、人間と言わんより、むしろ野獣に近い男が飛び出して来た。彼は当時の語(ことば)をもって言えば「汚れた霊」に憑かれたるもの、すなわち狂人であって、いわゆる急燥狂であった。キリスト教のまだ慈悲温柔の精神をもって社会を風化するに至らざる当時にあって、かくのごとき悲惨な廃人は、放擲してその為すがままに任せられた。彼らはその衣服を破棄し、夜は空虚な墓穴に蹲(うずくま)り、昼は出て墓地に徘徊するのを常習とした。ガダラの狂人はその近隣に恐慌を与えて、幾度か鎖で繋がれたけれども、暴力をもってこれを寸断し、裸体を鋭い岩角に打ち着けて叫びながら山中を彷徨していたのであった。
7「彼と耶蘇との邂逅」 彼はイエスを発見するや、憤怒に非ず、恐怖に駆られ、叫びつつこれに近づいてその前に平伏した。これと同時に驚くべき光景がそこに現出した。イエスはこの狂人を癒そうと決心せられたが、何よりも先ず彼を屈服せしめらるる必要を認めて、その慣用の手段たる彼の錯乱した頭より生ずる妄想に準じて、厳かにその仮定の「汚れた霊」に対し、その人より出でよと命ぜられた。すなわち権威を示して狂える精神を支配しようと試みられたけれども、さらに効がなかった。ただ狂燥の発作を起こして『神の子よ。いったい私たちに何をしようというのです。まだその時ではないのに、もう私たちを苦しめに来られたのですか』(マタイ8・39)と叫ばしめしに過ぎなかった(ルカ1・32、35、76参照)
その効なきを見てイエスは他の方法を用いて『おまえの名は何か』(マルコ5・9)と、狂人の本心を喚起せんと考えつつ問われた。彼の有する妄想はその口から漏らされた。彼は「汚れた霊」が一つに非ず、幾千入り込めるものと思倣していたのであった。当時天下無敵のロオマの軍隊が通過する毎に、民衆はこの不可抗の暴君の威勢を思わざるを得ずして、その軍隊の名はユダヤ人の口にもまた膾炙(かいしゃ)するところであった(マタイ26・53参照)。この憐れむべき狂者は「汚れた霊」の一軍団が入り込めるものと思倣して、さながらに「汚れた霊」の口吻を藉りて『私の名はレギオンです。私たちは大ぜいですから。』(マルコ5・9)と答えた。
8「豚に関する事件」 かくてなお「汚れた霊」のために、彼は『この地方から追い出さないでください』とイエスに祈った。主の柔和な人格より出づる権威は自ずから彼を支配し始めたが、彼は到底敵すべからざるを感じつつもなお「汚れた霊」と同体なるが如くに思倣して、追い出さるるを恐れ、「汚れた霊」の去るを惜しんだ。そのとき恰も豚の大群ーー二千匹以上のものが、はるか彼方に草を食んでいたが、狂人は一策を案出して『私たちを豚の中に送って、彼らに乗り移らせてください』と妥協を申し込んだ。これも不健全な観念であったけれども、イエスはなおこれを認容せられた。今や患者はイエスの支配の下に自由に委ねらるべき機会が来たのであった。『行け』(マタイ8・32)と命じ給うや、驚くべき光景が現出した。豚は山腹より荒れ狂い、駆け出すよと見る間に、断崖の下、湖の中へ落ちて溺れ死んだ。
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