水ぬるみ はるのいぶきと こだまする※ |
実が熟すると、人はすぐにかまを入れます。収穫の時が来たからです。(マルコ4・29)
これを世界の終末と見ても個人の死と見てもおなじではあるまいか。この世は畑である神の国が順当に育ち行けば必ず収穫の時が来る。キリストは神を信ずる人の死について、また世の終末について輝く希望を持っておられる。死は敗北でなく、収穫であり、信仰の生涯を終わった人は熟した穀物のように天国に収穫される。
パウロが『今からは、義の栄冠が私のために用意されている』(2テモテ4・8)と叫んで従容(しょうよう)として死に臨んだのもこの信仰によるのであろう。使徒ヨハネはこれを世界的に見て、『「かまを入れて刈り取ってください。地の穀物は実ったので、取り入れる時が来ましたから。」そこで、雲に乗っておられる方が、地にかまを入れると地は刈り取られた。』(黙示14・15〜16)と預言している。
私たちはこの世の甘き酒に酔ってこの深刻な事実を忘れてはならない。日々の歩みはこのゴールに向かって進みつつあることを忘れてはならない。
祈祷
神よ、私たちに自分の日を正しく数えることを教えてください。願わくは、私たちをしてその一日をも空しく過ごさせないでください。あなたの雨に浴しあなたの日に照らされ、月毎に年毎に、次第に熟した実を結んであなたの収穫にふさわしい者としてください。アーメン
(以上の文章は『一日一文マルコ伝霊解』青木澄十郎著63頁より参考引用し、題名は引用者が便宜的につけさせていただいているものである。
※ウクライナ危うし、国際情勢は混迷し、無辜の民のいのちが奪われる。今日も整骨院のお世話になった。如月に拝見した先の絵は弥生に至り、この絵に代わっていた。主なるイエスさまは刻々と近づいておられる。あだや「春のいぶき」を疎かにするまじ。 )
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