また言われた。「神の国は、人が地に種を蒔くようなもので、夜は寝て、朝は起き、そうこうしているうちに、種は芽を出して育ちます。どのようにしてか、人は知りません。地は人手によらず実をならせるもので、初めに苗、次に穂、次に穂の中に実がはいります。(マルコ4・26〜28)
このたとえでは『種の成長』が語られる。神のみことばは、それ自身が生命を有する『種』である。本当に人の心に落ちつきさえすれば、自然に発芽し、自然に成長する。もちろん自然というのは神を除外した自然でない。人間の力を除外した自然である。
本当に神のみことばを受け入れた者はくよくよと心配せずともその信仰は自然に成長する。これは私たちの衷(うち)に働き給う聖霊によるのである。ただし、信仰の成長には順序がある。初めには苗、次には穂という具合である。気を悪くしてはいけぬ。ゆっくりと静かな心で神の霊にまかせていればおのずから生長して実を結ぶ。
祈祷
父よ、願わくは、ひながめんどりの羽の下で安心しているように、私があなたの暖かいふところの中で安心できる心を、つねにお与え下さい。アーメン
(以上の文章は『一日一文マルコ伝霊解』青木澄十郎著62頁より参考引用し、題名は引用者が便宜的につけさせていただいているものである。 )
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