2022年3月15日火曜日

追い払われた悪霊のレギオン(2)

それで彼は、夜昼となく、墓場や山で叫び続け、石で自分のからだを傷つけていた。(マルコ5・5)

 単なる狂人ではない。悪霊の宿った人である。この人から出でて豚の群れに入った事実によっても単なる精神錯乱でなかったことがわかる。この人から出た時に豚の精神を錯乱させたではないか。イエスの時代にはこの種の悪霊の働きがかなり多くあったように見受けられる。

 この人は肉体的になやまされているから、非常に恐ろしく思われるが、よく見ると私どもの霊魂の自画像ではないだろうか。もしマルコの記述が正確であるとすれば、暴風の中にも、狂人の中にも、イエスの命令を聞き分けその交渉に応じ得る霊が住んでいることを示すものである。かかる霊界が存在している以上は人間がいかにもがいても自ら救う能わざるものであって、天来の救いを要することは明らかではないだろうか。

 私どもには感ぜられないが。サタンは今でも霊魂に対してはもちろん、肉体の中にも、社会の中にも、自然界の中にも働いて、神の王国の代わりに、サタンの王国建設を企てているのである。

祈祷

神よ、私たちは20世紀の文明を誇る。されどサタンの王国もまた大なる力をもって建設せられつつあるを見る。而して私たちの力は弱し。神よ、救いの神よ、速やかにあなたの腕の力を現わし、この世界を彼の手より掠奪してあなたの御手にかえし給え。御国を来たらせ得る者はただあなたのみなるを知ればなり。アーメン

 (以上の文章は『一日一文マルコ伝霊解』青木澄十郎著74頁より参考引用し、題名は引用者が便宜的につけさせていただいているものである。 なお、以下、昨日に引き続いてクレッツマンによる『聖書の黙想』の79頁の「追い払われた悪霊のレギオン」と題する文章の続きを紹介しておく。

 この大騒ぎのさ中に、イエスと弟子たちは来あわせたのだが、様子は、直ちに一変する。イエスの一行がまだ遠くはなれている時から、この悪霊にとりつかれた人は、彼を主と認め、走り寄って、その足もとにひざまずき大声をもって、イエスをいと高き神の子と口にした。キリストはけがれた霊にこの男から出て行けと命じられると、けがれた霊は、自分は主とかかわりを持とうとは思わず、またそれが当然だと感じていた罰をどうか容赦してくれと哀願した。

 弟子たちと近くに立っていた人々のために、イエスがけがれた霊にその名前をたずねられると、「私の名はレギオンです。私たちは大ぜいですから。」と答えた。またこの時、悪霊たちは自分たちをこの土地から追い出さないでくれと願いつづけた。しかし、その要求がききとどけられないと感ずると、できるだけ多く、ともかく害を与えたいとの悪魔的な欲望から、悪霊たちは、では、近くの豚の群れにはいることを許してほしいと願った。この豚は異教の土地の住民たちがそこに飼っており、ユダヤ人たちからは忌みきらわれていた動物なのである。

 イエスは、この男が、いかに似つかわしく、けがれた霊とともにいたかを示そうと望んでおられたので、イエスの明白な許しの下に、悪霊に追い立てられたおよそ二千匹の豚は、けわしいがけをすさまじく、湖の中へと駆け下りていって、そこですっかり死んでしまった。)

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