すると、少女はすぐさま起き上がり、歩き始めた。十二歳にもなっていたからである。彼らはたちまち非常な驚きに包まれた。(マルコ5・42)
四章の終わりから五章の終わりにかけて驚くべき大奇蹟が応接の遑(いとま)もなく、次から次へと起こって来たことが書いてある。すなわち暴風を鎮め、恐ろしい「汚れた霊」を追い出し、十二年間痼疾(こしつ)の血漏を癒し、死んだ娘を甦(よみがえ)らせた。これらは一晩と一日の中に続いて起こったのである。
そしてマルコはこれらの奇蹟に対して周囲の人々の感動を示して『彼らは大きな恐怖に包まれて』(4・41)とか、『恐ろしくなった』(5・15)とか『みな驚いた』(5・20)とか、またここにあるように『非常な驚きに包まれた』とか註している。これは神聖なるご生活の御威徳を示したものである。
今日ではたびたび奇蹟が信仰の邪魔になるように思って、これを弁解し去らんとする牧師方も多いことであるが、正直な目で見れば今日でも奇蹟は神の大能の発現に相違ない。奇蹟あるがゆえにイエスの御一生涯の神威が一層輝くのである。そして真実に奇蹟を信ずる者のために主は今日でも『非常な驚きに包まれ』るべき奇蹟を行ない給うのである。驚きの方面から信仰に入る者を迷信の如く取り扱う今日の宗教学者は真剣な信仰の威力を経験しない人であろう。
祈祷
主イエスよ、あなたは昔も今も変わり給うことなく信ずる者のために大いなる奇蹟を行ない給うことを感謝申し上げます。願わくは、私たちの信仰に大胆さを与え、嘲笑者をして嘲笑せしめ、臆することなく疑うことなく、進んで奇蹟をあなたより受け取らせ給え。アーメン
(以上の文章は『一日一文マルコ伝霊解』青木澄十郎著87頁より参考引用し、題名は引用者が便宜的につけさせていただいている。)
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