そして、その子どもの手を取って、「タリタ、クミ。」と言われた。(訳して言えば、「少女よ。あなたに言う。起きなさい。」という意味である。)(マルコ5・41)
タリタ・クミの原語をそのままに保存してくれたのはマルコ伝だけである。(マルコ伝はペテロによる)ゲッセマネの園で主が祈り給うた時の用語をそのままに原語で保存じてくれたのもマルコ伝だけである。すなわち主は『アバ、父よ』(14・36)と呼んだと書いてある。
なぜタリタ・クミとアバ(父よ)の二語だけが原語で遺されたか。想うにこの二語はペテロの心に深い印象を残してそのまま一生忘れ得なかったのであろう。主が用い給うたそのままの語を伝えなければ意が通じないと感じたほどペテロを動かしたものであろう。
『アバ、父よ』と言うときにゲッセマネのイエスの一生懸命なお顔がそのまま浮かんで来る。『タリタ・クミ』と叫ぶときにヤイロの娘の手をとった時のイエスの真剣なお顔が浮かんで来る。イエスの如く『アバ、父よ』と叫んだ人は無く、イエスの如く『タリタ・クミ』と叫んだ人も無かった。これがペテロの感じであろう。
祈祷
天の父よ、願わくは私をして主イエスの如くあなたを父と呼ばせ給え。私たちは死に対して主の如くタリタ・クミと呼ぶことを得ざるも、主の御声に応じて起き上がるの信仰を与え給え。アーメン
(以上の文章は『一日一文マルコ伝霊解』青木澄十郎著86頁より参考引用し、題名は引用者が便宜的につけさせていただいている。)
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