珍しや 白鳩見たり 散歩道 |
また言われた。「神の国は、どのようなものと言えばよいでしょう。何にたとえたらよいでしょう。」(マルコ4・30)
主イエスは如何に聴く人々の心に注意深く語られるお方であったかがうかがわれる。あたかも聴衆と相談するような態度で語っておられる。いわゆる『ひとりよがり』と言ったような態度をなされないお方である。これは主のご性格の一部を示しているように感ぜられる。まことに同情深いお方であるから多くの人々を前にしてお話をなさる時にも決してその一人一人の心の向き方をいいかげんにはなさらない。
自分一人が大演説をなして大衆に聞かせると言った態度をお取りにならず『我ら』とおおせられて『お互いに考えて見ようではないか』というような態度をとられたことは誠にゆかしくもあり、真の教育家でいらっしゃったことを思わずにはおられない※。天国の真理を無理やりに注ぎこもうとはなさらないで、一緒に考えるように導いて啓発して下さることは実にありがたい思し召しである。
祈祷
主イエスよ、あなたと私とは天と地とのように、あなたの知恵の富は高くしてこれを仰ぐことさえできません。ところがあなたは私を友と呼び、私と友のように語り、親しく私のことばをもって私に語ってくださることを感謝申し上げます。アーメン
(以上の文章は『一日一文マルコ伝霊解』青木澄十郎著64頁より参考引用し、題名は引用者が便宜的につけさせていただいているものである。※欽定訳聖書はWhereunto shall we liken the kingdom of God?とあり、文語訳聖書は「われら神の国を何になずらえ、いかなるたとえをもて示さん」とイエスさまが私たちをふくめて発言なさっていることが文章構造上見えるようになっている。青木さんはもちろん、文語訳聖書をもとにこの霊解を書いておられる。)
0 件のコメント:
コメントを投稿