梅の花 戦火受けずして ほころびる 届けよ平和 神の御旨なり |
イエスは起き上がって、風をしかりつけ、湖に「黙れ、静まれ。」と言われた。すると風はやみ、大なぎになった。(マルコ4・39)
弟子たちの不平はよろしくないが。イエスにこそ不平があって善かるべきではあるまいか。数日の間一生懸命群衆に道を説いて身体は綿のごとく疲れ、せめては舟の中で少しの睡眠をとりたいと思えばこの大嵐。
天の父はイエスをいたわってはくれないのか。その上に弟子たちは非難がましい声で彼を呼び起こす。が、イエスには少しの不機嫌な様子も見えない。カナの婚宴の時に御母の期待に背き給わなかったのと同様のお心持ちで、弟子の芥子種(からしだね)の如き信頼を嘉(よみ)して神の大権を動かして風と波とを鎮め給うた。
イエスはご自分のためには一回も奇蹟を行い給わなかったが、人を救うためにこれを惜しみ給わなかった。けだし人を救うのがご使命であるから、いかに神の大権を働かせても神権濫用にはならないのであろう。
祈祷
昔も今も変わり給わぬ主よ、ただ一言もてガリラヤの海と風とを鎮め給いしあなたは今も同じ大権をもって私たちとともにあり給うを感謝し奉(たてまつ)る。願わくは、いと小さき私のために天地の大権を動かすことを惜しみ給わざるあなたの大権を確く信じ、つねにあなたの胸に倚(よ)るの平安を与え給え。アーメン
(以上の文章は『一日一文マルコ伝霊解』青木澄十郎著71頁より参考引用し、題名は引用者が便宜的につけさせていただいているものである。 なお、The Days of His Flesh』by Smith David邦訳名『受肉者耶蘇』上巻日高善一訳368頁の簡潔な叙述「耶蘇これを戒む」を以下に紹介する。やはり第22章「湖を渡りて隠退」と題する箇所の一文である。
耶蘇は目を覚まして、その恐るべき光景を見下ろして『信仰薄きものよ、何ぞ懼るるや』と静かに弟子を誡めつつ、その荒れ狂う風浪をさながら獰猛な野獣を見るが如くに『風をいましめ、かつ海に「静まりて穏やかになれ」と言い』給うや風も海もこれに服した。
暴風自然に治って、風波の暫時に凪ぐ場合には、その鎮まった後までも、長い間、海には荒れたうねりのあるのが常である。しかるに耶蘇のことばによって『風はやみて大いに和ぎたり』他の小舟もまたその余慶に浴して救われたが、その船員は驚駭と恐怖に打たれ、『これ誰なるぞや、風と海さえも順う』と語り合った。)
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