2022年3月17日木曜日

追い払われた悪霊のレギオン(4)

それでイエスが舟に乗ろうとされると、悪霊につかれていた人が、お供をしたいとイエスに願った。しかし、お許しにならないで、彼にこう言われた。「あなたの家、あなたの家族のところに帰り、主があなたに、どんなに大きなことをしてくださったか、どんなにあわれんでくださったかを、知らせなさい。」(マルコ5・18〜19)

 イエスはこの地の人に道を伝えたかった。しかし紳士である彼は土地の人の要求するがままにそこを去った。その代わりに土地の人をもって神の道を伝えさせたのである。この地方の住民はユダヤ人ではなかったらしいから、この人はパウロよりも先に異邦人の伝道者となったとも言えよう。

 深いことは何も知らない。ただイエスというお方が神の大能によって自分を癒してくれた立証人(あかしびと)となっただけである。伝道はこれだけでよいのであることを教えられて嬉しい。私どもはたびたび伝道をむづかしく考えすぎる。そして自分の浅い伝道のごときは少しも効果がないように思う。いわゆる大風に灰を撒くようなものであると思って躊躇する。これは主の御心ではない。

 自分が恵まれたら、ただそれだけのことを語る。それだけでよい。信者が出来るか出来ぬかなど考えないでよい。それは私どもの考うべき範囲ではない。ただ一言『主があなたに、どんなに大きなことをしてくださったか』を述べるだけでこの世界は幾分でも天国に近くなるのである。

祈祷

主よ、私に機を得るも機を得ざるもあなたのみことばを伝うる心を与え給え。願わくはあなたのことばは空しくは帰らざることを信じ、あなたの御名のために証する者となし給え。アーメン

(以上の文章は『一日一文マルコ伝霊解』青木澄十郎著76頁より参考引用し、題名は引用者が便宜的につけさせていただいているものである。 なお、以下、昨日に引き続いてクレッツマンによる『聖書の黙想』の81頁の「追い払われた悪霊のレギオン」と題する文章の続きを紹介しておく。 

 しかし、ここに、主を知るにいたっていた一人の人間がいた。イエスと弟子たちが、ガリラヤにもどるために、舟に乗り込もうとしていた時、あのいやされた男が、どうか一緒に連れて行って下さいと熱心に願って来たのである。彼は、イエスと共にいる安らかさと幸福とを思ったのだろう。しかし、先のことを予知されていたイエスは、別のことを望まれていた。主はこの男のために、感謝と信仰にみちた重要な役割を考えておられたのだ。

 主は、この男にその友のために家に帰って、他の誰もが言うことのできないこと、つまり自分の身に神が深い憐れみの中に、いかに大いなることをなさったかを、彼らに告げなさいと命じられた。その男は喜んでこの言葉に従った。そして、デカポリス(十の町)の地方をめぐり歩いて、彼の救い主がしてくださったことを雄弁に告げてまわったので、人々は、驚きにみたされた。

 あがないの救いの力と愛とにふれた者は誰も、そのことを、他人に伝えないで終わることがないように!) 

2 件のコメント:

  1. マルコ5・18〜19のみことばは、45年前の鳥取に帰る小林克美夫妻の春日部を離れる時の証し
    のことばです。

    返信削除
  2. そうでしたか。私もその場にいたはずですのに、すっかり忘れています。兄は心のうちにその証を刻んでおられらのですね。純粋な信仰こそ宝物だと思わされました。もっとも30年ほど前に私も鳥取の地に同夫妻を訪ねました・・・

    返信削除